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(回答先: ダイナモ さんに一つ質問させてもらいます 投稿者 縄文ビト 日時 2009 年 4 月 27 日 17:18:23)
縄文ビトさん、初めまして。 私のブッダや仏教に関する理解は素人に毛が生えたようなもので縄文ビトさんと話が噛み合うか不安がありますが。 縄文ビトさんは、「人間が宗教に救いを求めるのは、人間は時間の観念を持っている所以である」と主張されていますが、確かにそれは宗教に傾斜する要因の一つと考えられないことでもありませんが、すべてではないと思います。 仏教の特色に、この世は苦に満ちている、という基本的な考え方があります。楽しみや喜びもありますが、それらが因となって苦という果をもたらすことになります。生老病死は誰もが避けられない代表的な苦であります。ではなぜ苦が生ずるかと言えば、自己に執着するからにほかなりません。自己という概念は自意識が芽生える十代前半に生じます。 自己に執着するとは、さまざまな欲望を意味します。ゴータマ・ブッダは苦しみをもたらす心的要素(煩悩)を貪瞋癡(とんじんち)にまとめました。欲望を貪(求める欲望)、瞋(避ける欲望)、これらを生み出す根本的な生存欲である癡(無明、渇愛ともいう)とで代表させたのです。これを図示すれば次のようになります。 根本的な生存欲(渇愛、癡、無明) このメカニズムを発見したことにゴータマ・ブッダの独創性があります。それまでは欲望が苦の原因だとされていたのですが、さらにその奥に本人も自覚することが難しい根本的な生存欲があることを明らかにしたのです。では根本的な生存欲を滅ぼすにはどうしたらよいか。それは根本的に無知だった状態から最終的に脱出することです。これを可能とするものが無自覚、無知の対局にある智慧であるとゴータマ・ブッダは見てとったのです。こうして解脱のメカニズムが図示できます。 根本的な生存欲の滅 根本的な生存欲求の滅を達成するには完全な智慧を獲得する必要があります。そのためには思考する瞑想を実践しなければなりません。思考停止の瞑想ではなく、自らの実存の輪廻的な生存のあり方にまつわるすべての経験的な事実を徹底的に観察し、考察し尽くす瞑想です。ゴータマ・ブッダはこの瞑想をやり遂げ、完全な智慧を獲得したことで根本的な生存欲の滅を達成し、最終的に解脱したのです。 以上がゴータマ・ブッダがなし得たことの概要です。全面展開してしまいました。とは言っても、ここで述べたことを私が信じているかと言えばそうではありません。あくまでも知的好奇心から調べたことで、私自身は無宗教です。 ここで縄文ビトさんの質問への回答ですが、そのようにできている、としか答えられません。 |