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(回答先: 話が噛み合いませんがレスしてみました。 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 4 月 27 日 20:42:53)
ダイナモさん返信ありがとうございました。
なぜ私がこのように宗教に反応するのかということは、選挙が近くなると○○学会の人が集票のため動き出すことに良い感情を持っていないからです。そしてその人たちは嘘をつくことは、入信させるための嘘は「嘘も方便」というかたちで許されていると判断しているように見受けられます。だから宗教に関心があるが所属はしていないといっても信じられないのです。
>宗教関係の議論は具体的根拠がなく、証明のしようがない議論になりがちで、
私が書いたことは出来上がった宗教ではなく、人間と他の動物との違いで比較したとき、人間だけが持つことのできる宗教心、それが何故なのかということです。そして辿りついたのが人間は時間の観念をもっている唯一の生命体だということです。そのことを徐々に書いていきますがその原因は『生物の進化』からきているのではないかということです。
>縄文ビトさんは、「人間が宗教に救いを求めるのは、人間は時間の観念を持っている所以である」と主張されていますが、確かにそれは宗教に傾斜する要因の一つと考えられないことでもありませんが、すべてではないと思います。
人間は最初から時間の観念を持って生まれて(赤ん坊)きたのではなく、成長過程で時間の観念を身につけてきたと考えています。例えば幼児期に最愛の母親を亡くした子供が、母の死を理解できる年齢は幾つぐらいからなのかということです。つまり死を理解する年齢はどの位なのかということです。小さいうちは死を理解することができないのではないでしょうか。ある程度成長した段階から死を理解することができるのではないでしょうか。『死』を理解するということは時間の観念を持っているということだと言えます。このことは他の動物には無いことだと言えます。
>仏教の特色に、この世は苦に満ちている、という基本的な考え方があります。楽しみや喜びもありますが、それらが因となって苦という果をもたらすことになります。生老病死は誰もが避けられない代表的な苦であります。ではなぜ苦が生ずるかと言えば、自己に執着するからにほかなりません。自己という概念は自意識が芽生える十代前半に生じます。
ここに宗教が人間の政治的・経済的不平等を覆い隠す道具にされてきたと考えています。ダイナモさんが派遣切りで仕事を失い、家族も失い、住む家も失った人たちを前にしてこの言葉を言えますか。多分彼らの怒りに触れるのではないでしょうか。
>自己に執着するとは、さまざまな欲望を意味します。ゴータマ・ブッダは苦しみをもたらす心的要素(煩悩)を貪瞋癡(とんじんち)にまとめました。欲望を貪(求める欲望)、瞋(避ける欲望)、これらを生み出す根本的な生存欲である癡(無明、渇愛ともいう)とで代表させたのです。これを図示すれば次のようになります。
根本的な生存欲の滅
↓
欲望の滅
↓
善悪の業の滅
↓
輪廻(苦)の滅(=解脱)
>このメカニズムを発見したことにゴータマ・ブッダの独創性があります。 ↓
それほどたいした発見ではないかと思いますが。人間は歴史上においてもっと数多くの 発明発見をしてきたのではないでしょうか。
私は拙著(人は人を使って利潤を得ても良いという…)本の中で解脱とは「無」になることであるということを引用していますが人間の死後、魂となって存在しなければ死後は無になることにしか過ぎないと思いますが。
人間全体に対し欲望・善悪の業を説くよりも、本来は一部の人間が不平等を作り出している欲望をセイブするよう正したほうがいいのではないかと思います。なぜか宗教はその逆をやっているように私には思えますが、いかがですか。