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(回答先: 今回の金融危機ヘッジファンド等一部の人間の欲望。業であるのに彼らはせめられてはいない 投稿者 縄文ビト 日時 2009 年 4 月 28 日 11:15:58)
> 私が書いたことは出来上がった宗教ではなく、人間と他の動物との違いで比較したとき、 > 人間だけが持つことのできる宗教心、それが何故なのかということです。そして辿りついたのが > 人間は時間の観念をもっている唯一の生命体だということです。 > そのことを徐々に書いていきますがその原因は『生物の進化』からきているのではないか > ということです。 今から2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人は仲間を葬り、遺体のそばに花が添えられていたことが知られています。ホモ・サピエンスにも同じ行動の形跡のあることが分かっています。このことは当時の人類が原初的な宗教心を持っていた証拠とされています。進化の途上で人類はいつからか宗教的な心性を獲得してきたのだと思います。その意味で縄文ビトさんのおっしゃるとおりだと思います。自分は無宗教だという人でも死者を悼むことは宗教的心性の現れです。 > 人間は最初から時間の観念を持って生まれて(赤ん坊)きたのではなく、成長過程で時間の観念を おおむね同意します。 >> 仏教の特色に、この世は苦に満ちている、という基本的な考え方があります。 ゴータマ・ブッダは「対機説法」を行ないました。これは相手の立場に応じて教えを説く、という意味です。これは縄文ビトさんが挙げられた場合でも当てはまります。 宗教は個人の救済(この意味は各宗教によって異なります)を目指すものであって、社会的不公正や不正義をなくすことを目的とはしていないということです。両者は性質の異なる事柄であり、どちらか一方だけを選ぶというものではありません。 > 私は拙著(人は人を使って利潤を得ても良いという…)本の中で解脱とは「無」になること 死後にどうなるかは形而上学的な問題であり、これに関しては議論の対象とすべきではないと思います。 > 人間全体に対し欲望・善悪の業を説くよりも、本来は一部の人間が不平等を作り出している欲望を 縄文ビトさんの問題提起は政治が対処すべき問題だと考えます。この問題に宗教が登場することは非常に危険なことだと思います。 |