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(回答先: 全体と個の二項対立図式批判 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 2 月 18 日 12:45:33)
>【個人の中には全体との関係で行動する部分と個人的な利益を追求する部分の2つが必ず存在します。】
これを、言葉にすると「個人の自由と権利」、「集団社会における公共の福祉」となりますね。
>【従って、全体と個を対立的に捉える思想は個人の内部に分裂をもたらします。】
絶海の孤島にでも暮らすのでない限りは、他人の権利にも配意するのが人間としてのマナーであり、必ずしも「全体」という概念を持ち出さずとも良いとは思いますが、まあ、ワガママだけでは世の中生きていけませんので、ある程度の「ストレス(個人の内部の分裂)」は仕方ないでしょうね。
>【これこそが個人の自立を破壊する支配者の統治手段なのです。】
ここは、一種の詭弁・強弁とも思いますが、確かに「方法論として支配者が統治手段にもちいる」ということはあるでしょう。
問題は、それが、支配者として「自己の利益(既得権益を守る等の自己保身)」のためにもちいるのか、公共の福祉としての手段としてもちいるのか?
と言うことでもあり、使用用途も考えなければ、それは必ずしも「大衆への害」とは位置づけられないということですね。
>【個人の利益を拡大するような全体(社会・世界)を求めるべきです。】
何が、個人の利益拡大になるのか不明ですが、声の大きな人の意見が通るのが正解ではないでしょうし、個人の利益の拡大というのは、弱肉強食の社会にしかならないでしょう。
>【権利ばかり主張して義務を果たさないなどと批判する言説などは個人の内部を分裂させる言説なのです。】
集団社会で、誰も義務を果たそうとしないのなら、誰が弱者の「食い扶持」を生産するのでしょう?
みんなが「巣の中で親鳥が餌を運ぶのを待っている雛鳥であろうとする」のなら、「腹へった〜、餌をくれ〜」と言う人しかいないのですから、これは、共倒れ以外の道は無いのではないでしょうか?
集団社会が維持されるためには、支配家層が「押しつける規則」とは言わないまでも「集団の構成員が主体になって掟を作り、その掟は守る」のでなければ、集団が保たないでしょう。
>【全体に奉仕するか個人がエゴイズムで好き勝手に生きるかの二者択一ではないのです。】
その通りですよね、全体に奉仕するという「時間も生活に必要」ですよね。
一般的には、一日24時間中で、8時間は睡眠、身体メンテ時間で、残り16時間中の8時間は個人の自由時間、8時間が全体への奉仕で、社会貢献としての就労時間ですよね。
いったい何が主張されたいのか不明ですよねぇ〜