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(回答先: では、その具体像を示してください。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 2 月 20 日 13:13:17)
全体を個の外にあるものとして捉えているのです。
そうではなく個が全体を形づくり又全体が個を形づくるという相互作用を思考の中心に据える事で突破口を作ろうというのが私の主張です。
個が全体の奴隷として存在するか個が全体の秩序を無視してワガママに振舞う存在なのかという両極端の志向を2つとも同時に批判する事が必要なのです。
全体主義かアナーキズムかの二項対立を乗り越えるべきだという主張です。
「この国が嫌なら出て行け」というような主張がありますがこの主張は既存の秩序に対する異議申し立てによって社会をよりよく変革するという可能性を無視し、「異議申し立て」=エゴイズムというような単純な図式で捉えているのです。
一方、全体主義批判の方も社会と個人を対立させて個人の恣意的な志向に対する詐害物として社会を描くというワナに陥り易いです。
全体と個人のどちらを優先させるのか?という論や
個人の自由をある程度制限しなければ社会の秩序は崩壊するなどという折衷的な思考も
全体と個人を抽象的なレベルで対立させているという誤りを犯しています。
以上のような認識について一致を見ない内はあらゆる対話はすれ違いに終わるでしょう。
「国が何をしてくれるかでは無く自分が国に対して何ができるのかだ。」というケネディとオバマの主張も二項対立図式に陥っているのです。
我々が作るべき社会のイメージは個人と社会の関係性について明確に述べたものでなければなりません。
個人は全ての個人が幸福になる事ができる社会を構築する為に行動すべきです。
経済的に困る事が無いように全ての個人の生活を社会が保障しなければなりません。
その為にはベーシック・インカムも必要です。