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クリスチャンへの質問 http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/491.html
全国のクリスチャンの方、私の疑問に答えてください。
地獄はあるのでしょうか?
宇宙を創造したのは、父なる神であり、イエスは神の一人子ということですが、キリスト教では、父なる神よりもイエスを主に信仰の対象とし、賛美しているように感じられます。イエスは父なる神によって地上に使わされたとすれば、本来信仰の対象は父なる神ではないでしょうか? 父なる神とイエスの関係について教えてください。
宇宙を創造した父なる神は、なぜサタンを創造し、そのまま放置しているのでしょうか? なぜ聖書にサタンの性質や意義について詳しく書かれていないのでしょうか?
クリスチャンはそれを左サタンや悪霊のせいにする傾向がありますが、私は、サタンのせいではなく、人間はそういうふうにできているのではないかと考えています。悪の衝動は、サタンの働きだと考えますか? 悪の衝動や煩悩が全くないという人は人間ではなく、神様ではないでしょうか? 私は、悪の衝動や欲望との葛藤は、人間に課された試練ではないかと思います。 人間にはさまざまな欲望や煩悩をもっていますが、神様は、どんな人にも何か一つ長所(使命)を与えてくれていると思います。それに気づき(発見し)、それを生かして生きることが大切ではないかと思います。欠点を直すより、長所を伸ばすことが大切ではないかと思います。 すべての人間が悪を内包しているとしても、80%〜90%の人は、基本的には良い人だと思います。誰にでもエゴ(利己主義)はありますが、本当にひどい悪人は、冷酷な犯罪者と戦争をお金儲けのために引き起こす国際金融資本と呼ばれる一部の白人大富豪だけだと思います。
人間は誰でも、一人一人が神様に愛され、見守られて生きているのではないかと思います。信仰心に関わらず、誰もが神様に愛され、見守られているのではないかと。 ただし、「求めよ、さらば与えられん」ということも真実のようで、神様の方を向かなければ、向こうから近づいてきてくれないように思います。 福音派のクリスチャンは、聖書が神様の啓示によって(精霊が降りた信者の手によって)書かれたものだから、聖書に書かれていることはすべて真実であると信じています。 私の大学時代のドイツ語の教師は、カトリックの信者(プロット神父)でしたが、「旧約聖書は、信仰の書であり、歴史書であり、神話であり、伝説であり、物語であり、詩であり、箴言であり、律法である」とおっしゃっておりました。 旧約聖書と新約聖書の論理的な矛盾、および旧約聖書で描かれている極めて人間的な神の姿を考えれば、「旧約聖書の内容を言葉通りに鵜呑みにしてはいけない」ということは自明だと思います。しかし、そのことを福音派のクリスチャンに話しても、全く受け入れてもらえません。 福音派の教えにもいろいろあるのかもしれませんが、私は福音派の教えそのものに問題があるのではないかと感じています。 黙示録も、聖書に入れるかどうかで激しい神学論争があったと聞いております。 私は、「聖書(黙示録)に書かれているように、未来が決まっている」などということは、全くあり得ないと思います。私は、未来はある程度(80%くらい?)決まっているかもしれませんが、人間の意志の力でいくらでも変えて行けます。 未来予知が100%当たることがないのは、未来を知った人間が何らかの行動を起こすことによって、未来を変えてしまうからだと考えられます。 アメリカでも、対イスラムの戦争を福音派(キリスト教原理主義者)は賛成しているようです。これは神の真意を無視した暴挙だと私は思います。そんなことを続けていたら、キリスト教全体が毀損されると思います。心あるクリスチャンは、声を上げてほしいと思います。 福音派の教義に関して、先生のご意見をお聞かせください。
私は、キリスト教だけが信仰の道ではなく、カルト以外のまともな宗教はすべて、同じ一つの神を信仰していると考えています。キリスト教は、さまざまなアルペンルートの中の一つだと思います。 新約聖書の一節に「キリストを通してしか神の道に入れない」という言葉があり、その言葉が一人歩きして、本来イエスが意図した意味でなく、後世に伝わってしまったのではないかと私は考えています。 自分が信じる信仰を絶対だと信じることには問題ないと思いますが、他の宗教を全面的に否定するのはおかしいと思います。愛をテーマにする宗教が、他の宗教を頭から批判したり、憎んだりするのはおかしいと思います。
これは質問ではなく、私の考えです。ご意見があればお聞かせください。 ユングは、「無意識下で、すべての人、動物、植物、鉱物(地球)、宇宙全体がつながっている」と考えていました。その総体が「大いなる存在」、すなわち神だと考えていたようです。 ユングは、神と悪魔を分離して考えることなく、悪魔は神様のもう一つの姿(後姿)だと考えていました。これは、クリスチャンには許容できないところかと思います。 夢は、意識が無意識とつながる接点です。人間が神聖なものとつながる一つの接点です。 あらゆる芸術活動も、発明や発見も、ひらめきも、無意識から生じます。日常生活でも、人間は無意識の力を借りて生活しています。意思決定も、理性による部分は少なく、無意識からの衝動やひらめきの力が大きいです。 すべてはつながっていると考えると、自分が冷酷な犯罪者や乞食さんや精神病の患者さんともつながっているということになって、少ししんどいですが、動物や植物と会話できる人がいることを考えるとおそらく真実だろうと思います。 これまでに死んだ魂も、今この世で生きている魂も、これから生まれてくる魂も、みんな一つにつながっていると考えられます。亡くなった大切な人とも、かつて愛した恋人とも、遠くで暮らす友達とも、心の奥底ではいつもつながっていると考えると、何だかホッとできる気がします。人は一人でいても、決して孤独じゃないんだと。 (注1)2月6日の日本テレビで放送された『天才!志村どうぶつ園キセキの絆スペシャル」に、動物と心を通わすことができる人が出演しておりました。 (注2)無意識下で人は網の目のようにさまざまな人とつながっていますから、現実の生活で一歩踏み出すと、いろんな人とつながっていきます。
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