投稿者 日 日時 2010 年 2 月 13 日 03:04:24: IR1H95zbmUf8k
(回答先: クリスチャンへの質問 投稿者 なぞの精神科医 日時 2010 年 2 月 09 日 01:11:17)
初めまして。クリスチャンではないのですが、気になったところだけレスします。
SF小説などでは、過ぎ去った場面を顧みて、そのターニングポイントで、もしも別の選択肢を取っていたら、今現在の状況はどうなっていたのだろうか?というテーマがよくあります。
それが非常に微妙で、些細な違いでも、時間の経過と共に一つずつ積み重なって、未来の世界が大きく違ってくるという事をifの世界で想像するものです。
そこには鏡同士を向け合った時のような、無限に連なるパラレルワールドが現れて、無限に、少しずつ違った自分自身が同時並行世界に存在している、というファンタジーですが、さすがに色々と無理があります。
その矛盾点については本題と外れますのでここでは言及しません。ただし、存在するとしてもそれは完全にこの世界とは隔絶された、閉じた、独立した、別世界であり、この世界において何一つ有用な物の無い、全く無意味、無関係な世界の考察であり、妄想と言う事になります。
そうではなく、おそらく存在する世界も時間も宇宙にひとつなのだろうと思います。
それでも、その中にある無数のパラレルワールドを見出すことは不可能でしょうか?
それは、それぞれの次元や状態にある、異なる種別とその個別のことだと仮定します。
その状態とは、全ての並行世界が一つの世界の中で同時存在し関係し合いながら、自分の過去と現在と未来の姿をも映し出している状態になります。
そこではわざわざifの世界を空想せずとも、互いに我々は少しずつ違った自分自身を互いの中に見出す事が出来るという事になります。
つまりは他のあらゆる生物、無機物ですら、少しずつ違った自分自身の成れの果てとして見る事が出来るというわけであります。
そうした見方でこの世界を見渡しますと
この3次元時空連続体。即ち4次元空間には相対的な1、2次元が同時に存在しているものと考えられます。
例えば蟻は人に比べ二次元空間の生物といえるでしょう。人の手を近づけても直前まで視認出来ない様であり、そこから推し量れば多分天体観察する視力も持たない。
又、細菌、微生物も同様に二次元空間に生きる存在と言えるでしょう。彼らの一生は人の一生と比べれば瞬きの一瞬。しかし彼らの時間ではどうでしょうか?
逆に人が細菌に見えてしまう世界。地球、つまりガイア生命体にとっての時間は長大なものです。癌細胞でありインシュリンでもある人類が引き起こす環境への作用においても、ガイアとして反応する時間にはずれがあるでしょう。今、人類がガイアを傷つけたとしてもその反応が現れるのは数百年後かもしれません。
植物はある意味では1次元生物といえるかも知れません。定点成長、栄養の補給、脈流、光合成、種子移動、どれをとっても点、或い線分の活動であるからです。
つまりこの3次元時空連続体とは、個々の生物によってその空間も時間も実は別々のものでありつつ、同時進行で進んでいる並行世界といえます。
これは何を意味するか?
それぞれの生命体にとっての時空が別に存在すると考えられます。物質にも同様のことが言えます。固体、液体、気体、プラズマと物質はその姿を変え、その時空を別にすることが可能です。
水は零度以下の条件を与えると氷と言う固体になり、長時間腐らず、急発進急加速しても安定した姿を保ちます。これを一つの結界と捉えれば、プラズマともなれば物質は更に、外の時空、及び宇宙の4つの力の干渉を受けない時空で存在し得て、光速瞬間移動をも可能となります。
更に、上記のようなものだけが並行世界でもない。同種の生物同士でも、少しずつ違った世界を我々は生きております。
植物界、動物界、人間界それぞれに、あなたも私も同時にこの世界に存在していますが、見て聞いて、経験した世界は過去も現在もそして未来において同じではないのです。違う景色、違う食事、違う匂い、違う騒音、寒暖も違う気候、違う隣人たちに取り囲まれて暮らしております。つまり個人個人が一人ひとつずつ違う並行世界に暮らしています。その環境は持って生まれた運不運で、少しずつ違っている。60億通りの違ったその世界の外に、動物界。ひとつ次元を落として微小昆虫、細菌などの二次元、植物の1次元へと並行世界は続いています。そしてその全てを私たちは見ているのです。
敷衍すれば上の次元すらも雛型として推察することも出来るはずだと思っています。
こうして隣同士の世界が少しずつ違った世界を持っており、何百も離れた並行世界の想像することも出来ない程のおぞましい生物も、見方によっては一つの可能性としての自分の変形存在ともいえるのではないでしょうか。そして、並行世界である以上は同時存在なわけですから、定められている運命をそこに類推し得るといえるのではないかと思います。
つまり、その並行世界とは、輪廻転生して行く世界と今は理解したつもりでおります。生前生きていたその者の本性が来世生まれ変わる生物の次元を決めるのです。それも並行世界。
虫けらに変化する時、それは何億匹にも分化され、もしくはその複合本性によって、ある部分は家畜数頭となり、ある部分は虫けら数万匹となり、生前の自我は解体され、2度と復活しません。その逆に、数人の人が合体し、超人、もしくはプラズマ生命体、もしくは神の子が誕生するかも知れません。それは過去の自我の記憶を有する大いなる自我として存在するでしょう。
天文学では宇宙が弦構造→泡構造だとする観察。物理学では紐宇宙→面宇宙へと推移しましたが、時間軸は別として、現在は4次元を超え、11次元が定説となりつつあります。4つの力の内、目に見える3次元(縦横高さ)の中で通用する重力世界+目に見えないミクロの世界の電磁力(4次元目)+核力2種の内の強い力(5次元目)+弱い力6種類(6〜11次元)ということのようです。
重力を扱う一般相対性理論。素粒子を扱う量子力学。これを統一すべく生まれた大統一理論。
更にこの両者時空を統一すべく、紐理論→超紐理論(面理論)→超重力理論と推移して11次元となって来たようです。
一部26次元すら考えられ始められている現状のようです。
しかし、この視座では宇宙一個を1DNA、もしくは生命体として捉えられず、世界を類推と言う雛型を通した考察によって理解する方法を排除しているスタンスとするほかはないでしょう。そう、これでは限のない話になりそうです。学識で到達しようにも真理は遠退くばかり。
実はこういうことではないでしょうか。神示によれば全てがこの世界に現出しており、誰でも雛形としての視点でそれは肉眼で確認できるとの事。つまりループしている。
このらの事を踏まえ、我々は少しずつ違った自分自身として、その多様性を共に認め合えもすれば、融合も可能であり、過去現在未来という時間ですらが、並行世界として、同時存在しており、類推する観察法によって、ここに見て取ることが出来ると考えます。
一つの世界と時間の中にある、無限の並行世界とその時間。
故に過去、現、来世、あの世もこの世も、輪廻転生も、隔絶した別世界では無く、未知の世界でも無い。
全てこの世界にあるというわけです。見方によって。
科学による視座では可視光の明かりの灯った部屋しか見えません(実証検証し得た物を根拠とする仮定までが限界)。それではもう対応出来ない、勝つ事が出来ない状況に、我々はおります。釈迦の手の平で暴れる孫悟空の様なものです。全てを経験、体験、実証しなければ前に進めない、知性ではもう役に立ちません。X、赤外、紫外線の目を持たなければと思います。それが類推。。。全てはこの世界に、現出しております。
ワープは望みません。
科学の視座は自我の視座であり、可視光で見える範囲だけを見ているに過ぎない、客観を旨とする主観の視座ではないでしょうか。
対して
神の視座は大我の視座です。教義を与えられれば宗教ですが、その視座をこちらから類推、チューニングし、焦点を絞ってゆく事によって得られる絶対主観。
これに近づくことこそ、自我から離れた真の客観が不可欠かもしれません。
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