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(回答先: 日本は、こういう国です 投稿者 語巻き 日時 2008 年 4 月 10 日 15:18:10)
語巻きさん、こんにちは、初めまして。
さて、語巻きさんの見解はここ阿修羅掲示板上でも2003年頃から、盛んに行なわれて来た考察の所産であり、阿修羅に参集する人達にとって共通の世界認識にもなっていると想います。
産業革命の成果を引っ提げて再び世界に侵出した英帝(大英帝国)は各地に様々な累を及ぼしたのにも拘わらず、自らの手で自分の尻を拭くことがなく、或いは拭くことができずに、その残滓の始末を他者に委ねたまま、“光栄ある孤立”などと知らん振りを決め込んでしまったのです。イギリス領インド帝国、清朝後期の中国、南アフリカ諸国、パレスチナ(委任統治領)等、英帝が元凶となっている災禍の事例には枚挙の暇がありませんし、その不始末さ加減には目に余るものがあります。
そして、戦乱にこそ商機ありとする教訓(?)を英帝から学び取り、第二次大戦以後、まさしくそれを地で行っているのが米帝(U.S.)であることは誰もが認めるところでありましょう。
>明治維新後、これからどのような国づくりをしていったらよいのか、という問題に関して実は明治維新を実行した人々はほとんどその問に応える能力を持っておらず、具体的なプランを作ったのは実はイギリス人だったと思っています。
とかくT.B.グラバーが立役者として挙げられますが、やや枚数不足の感が否めません。語巻きさんに他に誰か心当たりがありましら、ご教示のほどをよろしくお願いいたします。
>そして明治維新から日露戦争までの間に日本人が歩んだ道は「日本人自らが選び取った道だ」と日本人自身に思わせておいて、実はイギリス人が書いたシナリオいわば「日本間接支配30年計画書」のようなものに沿ってレールを歩かされたものだったとも思っています。
その中心的なプレイヤーの代表格が、伊藤俊輔(博文)や井上聞多(馨)等の長州五傑であったことは謂うまでもないでしょう。
>その後我々は、日本に対する支配権をアメリカに譲ることとなったが、現在までのところ、アメリカ人たちは、我々のアイデアであった「天皇制」をうまく引き継ぎ、良く飼いならし、突然檻から逃げようとするようなことも起こさせず、我々の日本人管理に関する過ちから多くのことを学び、総じて上手に管理できていると評価しても良いと思う。
在アメリカか、それとも英帝国内には明治期に自国が始めた対日本管理(操縦)の成行きを観察していた一派が存在していたかも知れません。でも、その成果をどのようにアメリカに伝えたのか、或いはどのようにアメリカの政府中枢が学びとったのか、非常に興味をそそられることではあります。
>イギリス人支配階級たちがLondonのMayfairあたりの閉鎖的なClubで上記のような会話を交わしていた(いる)であろうことは間違いのないところです。ここでの問題は、上記内容が事実か、といった捉え方ではなく、イギリス人自身が極東史を理解する際は、上記のような枠組みで理解することが常識となっている、彼らの世界観からはそのように見えているということなのです。(そして世界の知識人たちの常識としても)
重要なことは、少なくとも政府レベルで日本(人)の側がイギリス人の極東観や世界観をどの程度正確に把握しているかと云った問題でしょう。外務省の英国サブジェクトの規模に関しては具に知るところではありませんし、民間レベルでどこまでその核心に迫ることが可能なのかは全く不透明なのが実情です。
>別に、上記のような考えを受け入れろ、といっているのではありません。しかし「支配者は被支配者が、真実を受けれようとしない態度を喜ぶ。」「真実は太陽のように被支配者の眼前にさんさんと輝いている。しかしさんさんと輝いていればこそ、人々はその真実から目をそらせようとするものだ。」といった類の言葉の意味・有効性をイギリス人は確認してきたのだと思います。
国際的な規模で策謀の演習を重ねて来たことでは歴史的に見ても英帝の右に出る者はないでしょう。上記のことも検証に伴なって得た成果の一つに過ぎぬかも知れません。
>「インディージョーンズ魔宮の伝説」という映画がありましたが、イギリス人にとって日本の天皇制をあの映画にたとえると、臣民が恐れおののいてひれ伏している偶像(シバ神?)が天皇にあたり、そのシバ神と臣民の仲介としての神官役を担うのが、明治維新の元勲たち、ということになるのです。
確かに英帝はイギリス領インド帝国の事例等から見ても検証済みではあるようです。
>では、イギリス人たちはどこにいるの?ということになりますが、彼らは、さらにその神官たちの後ろに隠れ、神官たちを操ることによって臣民達が掘り出した宝物の上前をはねる役割を担っている、ということになります。
現在でも尚、Wall StreetがThe Cityの出先機関であることに変わりはないのでしょうか。
>無礼な!と思われるかもしれませんが、近代イギリス人から日本をみたらそう見えている、ということです。(何が正しいのか、という議論ではありません)
私は、「無礼な!」とは思いませんし、寧ろ、先ずは近代イギリス人にはそう見えていることを日本(人)は真摯に受けとめるべきであると思っています。そして、彼等の臆見を拭い去ろうとすることや、そう見られないようにと表層の問題に腐心するのではなく、近代イギリス人、とりわけアングロサクソン・エスタブリッシュメントを系譜とする人達の意識形成の過程(歴史)を研究するところから始めなければならないでしょう。また、それと並行して、どんなものを対置することが可能かどうかも探究していかねばならないと考えます。
そうしたチャレンジなくしては、私達はそういう国(=未だに少年期のorアマチュアの)であり続けるのかも知れません。
Auf Wiedersehen.