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明治維新後、これからどのような国づくりをしていったらよいのか、
という問題に関して実は明治維新を実行した人々はほとんどその問に応える能力を
持っておらず、具体的なプランを作ったのは実はイギリス人だったと思っています。
そして明治維新から日露戦争までの間に日本人が歩んだ道は
「日本人自らが選び取った道だ」と日本人自身に思わせておいて、
実はイギリス人が書いたシナリオいわば「日本間接支配30年計画書」
のようなものに沿ってレールを歩かされたものだったとも思っています。
一部の日本人の方には受け入れがたい事実かもしれませんが、
少なくともイギリス人の一定以上の知識階級の人間で知日派の人々にとっては、
いわば常識に属するものだと思います。
もちろん、イギリス人に何気なく上記の内容を「本当ですか?」と質問しても、
なかなか答えてくれないでしょう。
彼らは、日本人は誇り高い(別の言い方をすれば面子にこだわる)人間だと
知っていますので、あえてその面子に傷をつけて寝た子をおこすようなことは
なかなかしゃべってはくれないと思います。
ここであえてイギリス人の正直な回答を嫌味に表現すれば、
以下のような説明になろうかと思います。
「我々イギリス人は、極東の未開の種族である日本人に対し、
極めて少ないコストをかけるだけで、我々にとって実に有益な人工国家を
作り出すことに成功した、と評価できるであろう。
従来の支配者であった高級騎士階級を打倒すべく、地方の低級騎士階級のグループを我々のAgentとして育成し、既存支配体制を転覆させる革命に成功した。
その後、同国の民度に合わせる形で神格的な要素を強調した「天皇制」と
いうものの導入を我々はAgentに提案し、この制度は以外なほどスムーズに定着した。
その後、時をおかず朝鮮と台湾を彼らに与え、来るべき対ロシア戦に備えさせた。
このような30年にわたる各種の準備を経て行われた日露戦争は、
戦争期間中の我々の最大限の助力があったとはいえ、
日本人が他のアジア人とはいくぶん異なった資質を持ち合わせていたこと等の
事情もあり、我々の期待に良く応え、ロシアの極東での動きを首尾よく食い止めることに成功したのである。」
「但し、その後の日本は、我々大英帝国の極東における力が衰えたこともあって
「上手にコントロールする」ことが出来なかった。
それは、有望な未開の土人を見出し、育てる事には成功したものの、
思いもかけずに育ちすぎてしまった結果、我々の作った檻から出てしまった
フランケンシュタインのようなものにしてしまった。
その後我々は、日本に対する支配権をアメリカに譲ることとなったが、
現在までのところ、アメリカ人たちは、我々のアイデアであった「天皇制」を
うまく引き継ぎ、良く飼いならし、突然檻から逃げようとするようなことも
起こさせず、我々の日本人管理に関する過ちから多くのことを学び、
総じて上手に管理できていると評価しても良いと思う。
イギリス人支配階級たちがLondonのMayfairあたりの閉鎖的なClubで上記のような
会話を交わしていた(いる)であろうことは間違いのないところです。
ここでの問題は、上記内容が事実か、といった捉え方ではなく、
イギリス人自身が極東史を理解する際は、上記のような枠組みで理解することが
常識となっている、彼らの世界観からはそのように見えているということなのです。(そして世界の知識人たちの常識としても)
別に、上記のような考えを受け入れろ、といっているのではありません。
しかし「支配者は被支配者が、真実を受けれようとしない態度を喜ぶ。」
「真実は太陽のように被支配者の眼前にさんさんと輝いている。
しかしさんさんと輝いていればこそ、人々はその真実から目をそらせようとするものだ。」といった類の言葉の意味・有効性をイギリス人は確認してきたのだと思います。
「インディージョーンズ魔宮の伝説」という映画がありましたが、
イギリス人にとって日本の天皇制をあの映画にたとえると、
臣民が恐れおののいてひれ伏している偶像(シバ神?)が天皇にあたり、
そのシバ神と臣民の仲介としての神官役を担うのが、明治維新の元勲たち、
ということになるのです。
では、イギリス人たちはどこにいるの?ということになりますが、
彼らは、さらにその神官たちの後ろに隠れ、神官たちを操ることによって
臣民達が掘り出した宝物の上前をはねる役割を担っている、ということになります。
無礼な!と思われるかもしれませんが、近代イギリス人から日本をみたら
そう見えている、ということです。(何が正しいのか、という議論ではありません)