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(回答先: 決してトンデモなくはないと思いますよ 投稿者 有島実篤 日時 2008 年 9 月 11 日 18:55:57)
>有島実篤さん どうもです。
人道的という意味では「怠け病」の人も救うという考え方はあるでしょう。
しかし、それは「社会全体で十分な余裕があったればこそ」です。
前提条件を確認しておきますが
1 日本の食糧自給率は40%を割り込んでいるのが実態です。
2 日本にはエネルギー資源をはじめとして、ほとんどの資源が不足しています。
3 グローバル化の波は「日本が好まなくても押し寄せてきている」のです。
ここで、一つの例を想像してみて下さい。
時たま、アクションシーンとして映画などで使われるようなシーンですが
数分後には「水没してしまうような土地に取り残された人が10人いて、救助のヘリには5人しか乗せられません。」
さて、どうするのが良いでしょう?
まあ、考え方は色々あり、人権擁護の人は「女性・子供から」とか言うのかもしれませんが、人類という視点から合理的に判断したのなら「後の時代に役に立つような人材優先」が正しいのだろうと思われます。
無論、それは最終的には結果論であり、「本当に役に立つ人材なのか?」は神でもない人には分かりません。
怠け者の救済も精々が2回までで、ことわざにもありますが「仏の顔も3度まで」で、社会福祉制度には「限界が見えてきている」という現実を踏まえたならば「最終的には自己責任の下に、働かざる者食うべからず」は仕方ありません。
社会というのは「人々が支え合う共同体」であり、基本的には「相互扶助」で成り立っています。寄生虫を飼う場ではありません。
少なくとも「社会を支える」には「怠け者を奨励する」のは「社会否定」の自己矛盾を内包することになります。
反政府主義者が「政府を批判しながら政府に依存している」のと同じ事ですが、個々の個人が社会貢献をしようとしなければ、良い社会など出来るわけがないのです。
で、政策としては「エセ人権主義」でも「理想論」でも良いのですが、少なくとも「怠け者を生み出すような主張は御法度」だろうと思っています。
「怒らない親」よりは「厳しくとも、駄目なことは駄目として叱ってくれる親」の方が「本当の優しさ」でしょう。
いずれにしても「福祉」には限界が来ています。
甘やかしていられるのも先が見えています。
人に育てられた野生動物は「野生に戻されると生存競争に敗れて死ぬ確率が高い」と言われていますが、怠け者に対しては「矯正」するのが「本当の優しさ」ではないでしょうか?