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(回答先: Kさんが問題にしている「穀潰し」とは誰のことですか 投稿者 有島実篤 日時 2008 年 9 月 14 日 10:36:20)
>有島実篤さん どうもです。
>【Kさんが問題にしている「穀潰し」とは誰のことですか】
既に説明していますが、「能力があるのに自分の意志で社会に貢献しようとしない人」です。
能力の低い者はいます。問題は「努力しているのか?否か?」でしょう。
>【過労死寸前で頑張っている人から見たら、Kさんも働く意欲のない穀潰しに映るかもしれませんよ。】
社会には一定のルールがあります。「働き過ぎ」というルール違反をする人によって「他人の労働の機会が失われ、労働者の地位向上にマイナスになるのなら」それは非難すべきことです。
ですから
>【オーバーワークで頑張っている人がいるから、労働者の地位はいつまでたっても上がらないのだと思います。】
というのは一部は正しい見方です。しかし、現状では「自分の責任から、頑張らざるを得ない状況を企業に作り出されている」という状況もあるのです。
>【私は、会社のために過労死する者より穀潰しのような存在の方がはるかに人間的だと思う】
感覚的には同意したいところですが、人間は霊長類であり、たんなる動物に貶めようとするべきではないでしょう。文化を持ち発展させていく存在と考えないと「人類は滅んだ方が良い」という事に帰結するでしょう。それは悲しい考え方でしょう。
>【障害者が「精一杯生きようとしている姿を見せる事」で社会に貢献をしているとというのは強弁です。障害者も高齢者も、社会には貢献していないのです。それでも生きていて欲しいと思うのは、社会の側の要求、期待なのです。】
良いですか、人はその人の能力以上には社会に貢献は出来ないのです。
「能力以上のことをやれ」というのは無理なのです。そこは「人としての共通認識」でしょう。ここは相対基準と絶対基準の問題ですが「出来ない人が出来ないのは仕方がない」のです。
まあ、強弁という見方が成立するであろう視点は存在するでしょう。しかし、確かに「障害者のような人だって必死に生きているのだから、私も頑張ろうと思う人もいる」と思いますよ。
>【なぜ働く気のない人を無理に働かせる必要があるのですか。働く気はあっても使いものにならない人はゴマンといます。そういう人を働かせるのには、大変な手間ヒマ、金がかかるのです。ましてや働く気のない人を働かせるなど、無理な相談です。黙って、生活保護をやってパチンコしていてもらうのが一番安上がりで安心なのです。】
ここはいくつかの問題を含んでいます。
まず、【働く気のない者を働かせるようにする手間】、確かに大変でしょうが、放棄するのが正解かは、最終的には結果論です。
【働く気はあっても使いものにならない人はゴマンといる。】それは「不向きな仕事をさせている」という可能性もあります。人には向き、不向き、才能など色々な要素があります。「馬鹿とハサミは使いよう」とも言いますが、「絵の下手な人に絵を描かせても使いものにならない」のは当然でしょう。「やるべき仕事を先に設定するのではなく、その人に出来る仕事を考えて」なおかつ「使いものにならない」のでしょうかね?
>【ましてや働く気のない人を働かせるなど、無理な相談です。黙って、生活保護をやってパチンコしていてもらうのが一番安上がりで安心なのです。】
本当にそう思うのなら「いなくなってもらうのが一番の正解」です。
良く考えていただきたいのですが「もう少しで破滅が待っている場所に救助のための縄を投げ込んでも、自分で登ってこようとしない者」は「救えない」のです。
施しをしてやるのも良いでしょうが、そのような「施し」は過保護であり、永久には続けられないでしょう。
日本の経済状況は「もう後がないような所にまで来ている」のです。
>【腹を空かして強盗をしたり、人込みで刃物を振り回したりされては却って困るでしょう。「情けは人のためならず」と言ったのは、「穀潰し」がかわいそうだから情けをかけるというのではなく、社会の安定のためであり、あなたのためでもあるという意味です。】
この考え方には一利あります。
でも、本当に「潜在的危険性が感じられる」のなら「隔離治療するか、国外追放した方が良い」という見方も成立します。
「隔離」はヒットラー的発想と言う事ですが、イメージでなく合理的に考察を重ねていけば「社会という共同体にとって、存在することがマイナス」であり、100害あって1利もないような存在であると「認定してしまう」のなら「共通の利益のために排除が正解」となるでしょう。
少なくとも「将来役に立つかもしれない」と言うことでなければ、無駄飯ぐらいの穀潰しそのものでしょう。
>【ところで、Kさんが問題にしている「穀潰し」とは、どういう人のことですか。やくざ者ですか。飲んだくれですか。寅さんのような男ですか。ニートですか。そういう人の中に、あなたの職場で一緒に働きたい人はいますか。いたら雇ってやってくださいよ。いないでしょう。誰も雇う人がいないなら、ただ飯を食わしておくしかないでしょう。まさか飢え死にすればいいなんて言わないですよね。】
やくざ者の人は「番犬代わり」に使え、将来の出入りの鉄砲玉のような役割に役立つ可能性があります。飲んだくれは「売れる酒のモニター」くらいには使える人材かもしれません。ニートは色々な種類がいそうですが、「インターネットの監視」とか「漫画のモニター」くらいには使える可能性もあるでしょう。
それ単独では「単なるクズ」であっても、組み合わせとか工夫次第で「有効活用できる可能性はあります。」
まあ、Kの職場という「限定条件下」では「有効利用は難しい」とは思いますし、Kの職場は「呆れるほどに柔軟性が認められない職場」なので雇えませんけどね。
物事は多角的・多次元的に考えるべきです。
どうも、有島実篤さんは、仕事・労働に対する固定概念が強いようです。
最後に書いておきますが、Kは本当の意味で「社会に害をなすしか予測出来ない人」であるのなら【まさか飢え死にすればいいなんて言わないですよね。】というようには考えません。
以前にも主張していますが、Kは死刑制度容認堅持論者です。