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(回答先: 現場を見てください。 投稿者 東京音頭 日時 2008 年 7 月 11 日 23:08:34)
返信ありがとうございます。
私が学校に通っていた頃は特に、国旗掲揚も国家斉唱の指導もなにもなかったですから、なおさら、部外者と言うべきかもしれません。
利他的な行動をするのはすばらしいことですよね。愛国心、公共心、滅私奉公どれも素晴らしいと思います。
消防隊、ボランティアなど人のために働いている人を本当に尊敬しています。
ヘンに勘違いした個人主義でなければ、個人主義もいいことだと思います。
戦前・戦中の日本の国民の行動は、そういうことを受け入れる社会を、政府がつくっていきました。
そして、反対する人間が意見を言いにくい雰囲気をつくっていきました。
それから、教育に国家が介入し、国のため、天皇陛下のために自分の命を喜んで捧げることが正しいことであると教えられてきました。
それが自分から望んだことでもあると思わせました。
でも、本来的に人というのは(生き物かな?)、自分の命を投げ出すことを好しとはしないと思います。
誰だって生きていたいですから。
確かに、歌うだけでは何も変わりませんね。
そうですね、米国の謀略通りに戦後の左派的な考えに洗脳されているのかもしれませんね。
でも、おそらく反対している現場の教師の方々が予測しているのは、次はなにを強制されるのかということだと思います。(私は教師ではないので憶測ですが)
ちゃんと、説明をしてもっと理解を求めていくべきかもしれません。
運動、活動というものも、確かに自己満足とは切り離せないものかもしれませんね。そこに利他的な感情もあると信じたいところです。
いじめというのは、集団のなかで暮らしていくのには、避けては通れない問題かもしれませんね。しわ寄せは一番弱いところにいくものなので。
いじめが辛くて自殺したのは、元々死にたかったからではないですよね。
いじめがなければ、死にたいとは思わなかったのではないですか?
携帯を利用したいじめなどは、一切携帯を使わせないで、しばらく離れたほうがいいでしょうね。