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(回答先: まいったなぁ〜、どうも、価値観が全く違う人のようですねぇ〜 投稿者 考察者K 日時 2008 年 1 月 13 日 09:39:49)
>雇用保険
>しかし、負担の公平性も必要でしょうから、全ての所得に対して「課すという検討課題」は残るでしょうね。
全く賛成できませんね。それなら税としてとればいいだけです。
私には、加入が義務づけられている年金保険なんてのは頭のおかしい話にしか見えません。
あれも全て税でやればいいんです。義務づけるんならね。この話も同様です。
>「日本人として日本に生まれた」というのは「両親を選べないのと同じ」ように「本人には選択権の無い事」で「運」に属します。
>それでも「国籍」と住む「国」は「選択」することはできます。
その通りですね。全く別の問題ですが、今の日本は、他の国籍を選ぼうとすれば、
「日本」を捨てなければなりません。また、外国人が日本人になろうと思ったら、
「自分の元の国」を形式上ではあれ捨てなければなりません。
早く二重国籍、「どちらのアイデンティティも持ち、尊重する人間」を認めてほしいものです。
>多分ですが「それを、民間主導で行う」という考え方なのでしょうが、「民間で行っても、それも、違った意味での政府になる」と考えられます。
意味がわかりません。嫌なら参加しなければいいだけです。それは政府とは全く違います。
しかし、民間がやろうが政府がやろうが同じことですが、「理由のないタダのり」(参加はするが負担はしない・負担できるけどね)は許されないでしょうね。
>【権力嫌悪】という事ですと【嫌悪】と言う「感情論」が底流の「憑き物」として憑いてしまっています。
そうですね、権力、というのが(ほとんど)絶対悪だと言っています。
必要な場面も想定されるため、例えば政府に対しても、100%否定はしていません。
それは、殺人はほとんど絶対悪だが、それほど責められない・責めることのできない殺人も存在する、のと同じですね。
そんなものはいくらでも世の中にあります。
>例えば「舗装道路に大きな穴が開いていて、修理が必要だとします。」
>一定期間「時間差の片道通行にして修理するのが、もっとも効率的」だと判断されたとします。
>これを「純粋に民間だけでやる」のは「出来るでしょうが困難」でしょう。
>「赤信号で止まれ」は「政府が作った規則」です。手旗信号でも理屈は同じです。
これは残念ながら「土地の管理」に関する問題です。今までの話とはちょっとずれています。
土地というのは誰かが所有するという発想自体、根拠のないものですから、
政府、あるいは(小さい単位の)自治体が管理すればいいと思いますよ。全ての土地をです。
そして、その土地(に作られた公共的な道路)を維持するために、一定のお金が必要だ、
というのは無理からぬ話です。
>交通の少ない時間帯に「雄志が集って道路を修理する」のは可能でも、非効率だろうと思いますが、いかかでしょう?
上記のように、土地の問題に関しては少し意見が違いますが、仮に全て民間でやるとしても、
そんな「非効率」なことを民間がやるとお思いですか? この問題に関してだけ言えば、
(当然道路を必要とする)金持ちたち(だけとは限りませんが)が基金を作っていて、補修が必要な場合には
その基金からすぐに金が出る、という状態を想定すれば、それは全く、むしろ現状よりも効率的であろうと思うのですがね。
>全ての国民が「他人の人権を尊重して助け合いの精神を持ち、相互共助を考えているのなら無政府も可能」でしょうが、現実問題として、多くの国民は自己中心的な側面を有しています。
ここの問題点は、「皆がどうしてそうであるのか・そうであっても成り立っているのか」を考えていないことです。
私は、
・政府が存在し、その政府が相互扶助を強制的に行うと宣言している
からこそ、そして、そうであるがゆえに
・皆がその枠内であれば自己中心的であることを容認され、むしろ奨励されている
からこそ、あなたが「多くの国民は自己中心的な側面」を発揮していると感じるのだと思います。
もし政府がそんな責任おいませんと宣言すれば、細かい言葉には気になる点はありますが、
>「他人の人権を尊重して助け合いの精神を持ち、相互共助を考えているのなら無政府も可能」
こうしなければ「社会」が成り立たないのですから、そうせざるを得ないでしょう。
金持ちはバカではありませんから、政府の後ろ盾もないのに強権的なことをやっても、
人心も離れ、自分にとって得ではないことを当然理解しています。
>どこかで誰かが「導かなければ、あらぬ方向に流れていく」という可能性は高いでしょう。
導く、などという発想は、それこそ全体主義的な発想ですね。
私は誰かに導かれたくなどありません。
>その場合、利益が確保されなければ機能しない民間主導では「限界は低い」でしょう。
ちょっとこれの意味がよくわかりませんが、「やっても利益がない」が
やらなければならないこと、とはなんでしょうか?
例えば、先ほどの道路の問題でも、(土地の問題でもあるため、これが私の意見というわけではないですが)
「道路が壊れている」のは「民間」にとって不利益なのですよ?それを直すのは当然「利益」と言わざるを得ません。
>> 【しかし、それが「正しい方向だ」と権力を背景に押しつけていいものでしょうか?特に権力を背景にした集団が「生産」を行うということに対して、もっと慎重になるべきではないでしょうか。我々はスターリンに代表するような、賢明な権力者が引き起こした(生産に関連する)悲劇を忘れてはいけません。】
>誰が考えたって、どのような理由があろうと「強制的な労働によって人命が失われる」のは間違っているでしょう。
正しく理解されていないようですが、私は、強制労働によって人が死んだ、などといっているのではなく、
権力者が正しい方向に向かっていると思っていても、それが完全に失敗して多数の犠牲者が出た、といっているのです。
スターリンの例でいえば、彼は失政によって無数の餓死者を出しました。強制労働ではありません。
しかもそれは「仕方のない」ことでもなく、全く完全に批難に値することでした。
しかし、スターリンは(問題が起こっているのは認識していても)正しい方向に向かっていると信じていたのです。
>「自らが志願して、納得して、進んで働いた末」としての「過労死・過労自殺」ではないのですよ。「企業の採算とか、企業の生産性の向上」と比較対象になると言うのでしょうか?
この事実を政府が追認しているのです。
>労働基準法の「8時間労働が妥当か?」とかの問題とは「根本的に種類が違っている」のですが、過労死させるほどの「長時間過密労働に至るように企業が追い込みを掛ける」事に「法規制」することに「なんで慎重になる必要でしょう?」
今でも「誰かが死ぬまで働かせる」なんてのは法で認められていることではないですよ。
しかし現実的には、「必要な犠牲」だからかなんなのか、認められているのが事実です。
そんなことは認められるべきではありませんが、本質的に、
(今がそうであるように)法規制によって解消する問題ではないのではないでしょうか?
>基本的に「Kとは全く価値観が違う」ようで「庶民の苦しみ」などは理解していないようです。
Kさまが想定している「庶民」は、
金持ちは不当に金を得て、放っておけば自分だけがいい思いをしようとし、
ましてや、「自由」になんかしたら、我々の大部分は死んでしまう!
とでも思っているのでしょうか? だとしたらすごく滑稽に見えますがね。
金持ちと庶民は敵同士なのでしょうか?
>「政府主体」と「民間主体」の差は、端的に言えば「普遍性」と「偏在性」でしょう。
政府主体が普遍的であるなんてのは幻想です。
>日本国をあまねく公平に網羅して「全国ネット」としてセーフティネットとして機能する
そんなことが可能だとは思えません。仮に私が富士山の頂上に住みたい、といえば、
政府は富士山の頂上に「他の日本人と同じような」機能を作ってくれるのでしょうか?