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(以下は記事のタイトルと冒頭のレジュメの部分)
「ミャンマー:米国の打算的な心遣い」
執筆:ティエリ・メイサン
西欧のメディアは、強力な弾圧政権からの解放を試みるミャンマー人民に対する読者の同情を煽っている。メディアは、われわれの感情を操りながら、経済的制裁が妥当であり、それが独裁を終わらせるかもしれないという考えを売り付ける。また彼らは、それが何であろうと、来るべき政権への支持を促す。注意せよ。この突然の熱気は、別の形の干渉と後ろ暗い野望を隠しているのだ。
(以下は本文の要旨と抜粋)
西欧の新聞はミャンマーで起こっている《サフラン革命》に情熱を傾けている。みなが──そしてわれわれも無論そうだが──、何十年もミャンマー国民を押し潰している軍事革命政権が転覆し、民主主義政体に変わることを期待している。しかしながら、これまで無視されてきたこの国に対するわれわれの《同業者》のこの突然の関心は、偽もの《花の革命》(訳注:たとえばウクライナの《オレンジ革命》グルジアの《バラ革命》キルギスタンの《チューリップ革命》のような、ソ連崩壊後旧東欧、中央アジアで起こった西側主導による反政府運動の総称)の経験や、グルジアからレバノンに至る苦悩に満ちた目覚めと同様に、われわれの批判的感覚を鋭敏にしたはずである。だが彼らメディアがわれわれに見せたり解釈したりしていることは,果たして真実に忠実であろうか?
明らかに、ミャンマー人にとっては、賭けられているのは彼らの自由である。だが《西欧》にとって、それはまったく別のことである。
新聞は、軍事政権は経済的、軍事的に、中国と、中国よりは少ないがロシアに支援されていると繰り返し書く。この2大国はさる1月、国連安保理事会でミャンマーに経済的制裁を課すことを妨げた。だが、中国もロシアも軍事政権とそれほど緊密ではない。彼らの判断は、ミャンマーは隣国に対して危険な行動を取っていないということ、及び、制裁決議は国連憲章を逸脱するものだということにある。つまり国際的コミュニティーは、他国の内政問題を力で解決してはならないという精神を尊重したに過ぎない。それとは逆に、ネオコンの革命的思想は《民主主義的干渉》を説いている。アフガニスタンとイラクにおける帰趨を見れば明らかだ。
中国もロシアもミャンマーとは利害関係をもっている。だがまったく別の計画(石油パイプライン敷設など)においてである。はるか離れたところで、主な経済的支援は、アメリカ帝国の衛星国である日本からである。しかし西欧の新聞は、日本とミャンマーの経済的関係については非難しない。それに、日本は経済的制裁を拒否するだろう。それはアジア的外交政策の不変的特徴である。つまり制裁は非生産的で、これは国の指導者を罰するかわりに国民を飢えさせるだけであり、かつ外交交渉の可能性を壊してしまうというものである。
今回の《サフラン革命》はガソリンの高騰と僧侶への暴力行為がきっかけだが、その目的は厳密な意味で民主主義を導入することではなく、《市場の民主主義》を押し付けようと欲する米国によってこっそりと準備され、支援された。すなわち特定の多国籍企業の投資活動に国を解放せよということである。だから西欧の新聞が、ビルマ人民の生活水準がどうなろうと、まずライバルの投資家の撤退を主張したのは当然である。
2年前から、《ジェネレーション88》(訳注:88年の学生の蜂起から、反体制運動はこう呼ばれている)の名の下で民主化のための反政府運動が続いている。この運動の主要人物の勇気と決断力は称賛ものだ。だがこの《ジェネレーション88》がアメリカの非合法活動の隠れみのになっていることをなぜ見ようとしないのか。このグループは、2年間に250万ドル以上の資金をNED(訳注:ティエリ・メイサンの過去の記事によれば、CIAの活動を支援する基金)から受け取っている。すなわち、投資家ジョージ・ソロスやノルウェー政府とは別に、米国国務省からである。
このメンバーは、数々の血なまぐさいテロ行為に関わってきたが、ミャンマー政府の評判があまりにも悪いので国際的に問題とされなかった。彼らは誰のために働いているのか。軍事政権が言うように《ジェネレーション88》の指導者の命令なのか。それとも別の挑発者がいるのか。この場合、連中は運動に対する不信感を広げて軍事政権を利するためなのか、あるいは体制を混乱に巻き込んで米国を利するためなのか?CIAの財政援助を受けた一連のテロがミロセヴィッチ政権の強圧を呼び、戦争に至ったコソボを思い出させるものがある。
《サフラン革命》はデモ隊の僧侶の僧衣の色から名付けられものだが、この《花の革命》の発案および組織化はアルバート・アインシュタイン研究所(CIAの非暴力的別動組織)によるもので、その代表者ロバート・ハルヴェイ大佐はかつてラングーンのアメリカ大使館付武官であった。
(以下略)
http://www.voltairenet.org/article151836.html