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(回答先: 小松秀樹が語る「医療に司法を持ち込むことのリスク」 投稿者 memento mori 日時 2007 年 10 月 26 日 12:05:34)
らに、わが国特有の問題がある。行政官、とりわけ、厚労省の行政官は政治とメディアから、正当なもの不当なものを問わず、激しい攻撃を受け続けている。このため、攻撃をかわすこと、すなわち、自己責任の回避が行動の基本原理の一つにならざるを得ず、しばしば大衆メディア道徳とでもいうべき現実無視の論理に同調して、同僚を切り、あるいは、現場に無理な要求をしてきた。
司法、政治、メディアは物事がうまくいかないとき、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。これに対し、医療、工学、航空運輸など専門家の世界では、うまくいかないことがあると、研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとする。あるいは、規範そのものを変更しようとする。
社会学者ニクラス・ルーマンは、司法・政治・メディアなどを規範的予期類型、医療・工学・航空運輸などを認知的予期類型に大別し、両者の考え方の違いを整理した。「(違背にあって)学習するかしないか それが違いだ」とルーマンは表現している。地動説に対する宗教裁判は、規範的予期類型が認知的予期類型を押しつぶした歴史的一例であるが、結果としてこの事件は、神学の権威を大きく失墜させる方向に働いた。
なぜ、医師を取り締まってやろうという立場で制度を設けるのか
このことは演繹と帰納という観点からも理解できる。法律家は規範を絶対視し、規範から演繹的に物事を判断することを当然とする。科学者は、仮説を証明するために、一定条件の対象を適切な方法で検討し、帰納的に仮説が真かどうかを検証する。科学的真理とは、対象と方法に依存した仮説的真理である。真理の表現方法、精度、限界は方法に依存している。司法は、この仮説的真理という醒めた見方を共有できないため、白か黒かを無理やり決めようとする性癖がある。さらに規範が適切かどうかを、現実からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。このため規範が落ち着いたものにならない。
「医療事故調」が議論されるようになった背景には、医療崩壊の危機がある。医師が患者の無理な要求や、それを支持するマスコミ、警察、司法から不当に攻撃されていると感じるようになり、士気を失い病院を離れ始めた。崩壊を食い止めるための方策の一つとして、患者と医師の軋轢(あつれき)を小さくするという文脈で「医療事故調」の議論は始まった。このような状況で、なぜ、医師を処罰の対象として考え、何かあれば取り締まってやろうという立場で調査制度を設けようとするのか。
(次ページに続く)