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(回答先: 「医療に司法を持ち込むことのリスク」 2 投稿者 memento mori 日時 2007 年 10 月 26 日 12:07:16)
私は、医療事故に関する調査機関を設けること自体には賛成である。科学的調査を行い、事故原因を究明することは医療の安全向上に不可欠である。調査結果を患者側に説明をすることは紛争解決に不可欠である。過去に医療がこのような仕組みを組み込んでこなかったことを、われわれは真摯に反省しなければならない。しかし、調査機関への事故報告を義務付けて、報告しなかった場合には罰則を科すというやり方には賛成できない。このようなことをすれば、激しい軋轢の原因となる。
医療事故調査機関を設けること自体には賛成
今の日本社会は大きな欠陥を持っている。何か不都合が生じたとき、「悪い奴を探し出して罰しろ」と主張する「被害者感情」が、制御なしに独り歩きをしている。人間の感情は個人の心の中に限定された現象である。攻撃を受ける側にも感情がある。感情をそのまま社会的コミュニケーションに持ち込むと、当然ながらコミュニケーションそのものが成立しなくなる。社会的コミュニケーションに感情を持ち込むためには、感情を社会で扱えるような形にする必要がある。
社会で扱えるように整理された感情はたぶん感情というようなものではなくなるが、このような作業がないと社会は成立しない。日本のメディア、司法、政治は感情の社会化ということをもっと意識して考える必要があるのではないか。感情面の軋轢を小さくして事故を冷静に検討するためにも、事故調査と医師の処分は制度として分離すべきだと思う。
医療、工学、航空運輸など専門領域は、内向きの世界として、国家横断的に大きく発展している。航空運輸の分野では事故をシステムの問題ととらえ、将来の安全向上のために調査を行う。航空運輸は国際的な分野であり、国際民間航空条約(ICAO条約)の第13付属書に、事故調査についての取り決めが記載されている。付属書は「調査の唯一の目的は、将来の事故又は重大なインシデントの防止である。罪や責任を課するのが調査活動の目的ではない」とする。また「罪や責任を課するためのいかなる司法上又は行政上の手続も、本付属書の規定に基づく調査とは分離されるべきである」と明記している。
ところが、日本では警察が法的責任追及のために事故調査を行い、検察は航空・鉄道事故調査委員会の報告書を刑事裁判の証拠として使用してきた。システムの問題を直接事故にかかわった個人の罪として追及してきた。警察が収集した情報は警察内にとどめられ、事故防止に利用できない。ICAO条約に抜け道の条項があったのも確かだが、日本の司法が条約の基本思想を受け入れていないことは間違いない。
日本学術会議の工学系を中心とする専門家はこの状況を憂慮し、05年6月23日「事故調査体制の在り方に関する提言」(日本学術会議のホームページで入手可能)をまとめた。この提言ではシステム性事故を科学的に扱うこと、そのために各種事故を対象とする独立性を持った常設の機関(3条委員会)を設置することを提案している。報告書ではこの機関が扱うべき事故の種類を広くとり、医療事故も含めている。機関そのものに専門性を持たせるのではなく、各種専門知識を持つ機関を動員して結びつける役割を想定している。
(次ページに続く)