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(回答先: 「医療に司法を持ち込むことのリスク」 3 投稿者 memento mori 日時 2007 年 10 月 26 日 12:08:26)
故意や重過失に対する刑事処分は容認しているが、関与者の過失については、人間工学的な背景分析も含めて当該事案の分析を十分に行い、被害結果の重大性のみで、短絡的に過失責任が問われることがないよう配慮することを求めている。処罰を目的とする調査は当事者からの証言を得にくくし、真相究明の阻害要因となる。また、事故の引き金を引いた直近の当事者を処罰してもなんら問題解決にならないと刑事司法の欠点を指摘する。調査報告書については、民事裁判での証拠としての使用は容認しているものの、事故当事者の証言に対応する部分については、刑事裁判の証拠としての使用を認めていない。
日本学術会議の提言は事故調査の目的を安全においている。航空機事故は、件数が少ないため事故ごとに対応策を考えることが可能であるが、医療事故は発生件数がけた違いに多い。事故なのか、本来の病気のためなのか分からないようなものも少なくない。先に述べた厚労省の第二次試案では、委員会に「遺族の立場を代表する者」が参加し、「個別事例の分析に加え、集積された事例の分析を行い、全国の医療機関に向けた再発防止策の提言を行う」としている。
個別性を持った情報を元に、遺族の立場を代表する者が参加する委員会が安全対策を策定すると、膨大なものになりかねない。これを現場に押し付けると現場は疲弊する。責任を伴わない権限で、整合性のない安全対策を強要されると、病院は経済的に破綻する。事故情報は匿名化して、既存の医療事故防止センターの専門家の下に集め、重み付けをして、総合的に対策を考えるべきである。航空機事故の調査は安全向上が第一目標になるが、医療事故の調査は、安全のみならず、医療の保全を常に考える必要がある。
異なるシステム間の齟齬は多段階で時間をかけて解決するしかない
医療について議論する刑法学者には、刑法の狭い枠にとらわれずに、航空機事故調査をめぐる議論の蓄積を学んでほしい。検察官と裁判官の一部が医療現場を見学していることを知っているが、法律学者、弁護士(病院側の弁護士も)が医療現場を自分の目で見て認識を広めているという例を聞いたことがない。認識が広ければ、狭いことの善し悪しを判断できるが、狭いままだと、広いことの必要性は判断できない。
私は、死生観を含めて、医療とはどのようなもので、医療に何を期待できるのか、できないのか、共生のための行動の制御はどうあるべきかなど医療にかかわる根源的問題について、認識を一致させる努力を「医療臨調」のような場を設定して、国民に見えるように演出することを提案してきた。認識の違いを埋める努力なしに、医療制度の内部に司法を取り込むと、取り返しのつかないことになる可能性がある。医療事故調の調査報告書を刑事処分、行政処分の追及に使うことは、現在の業務上過失致死傷罪の医療への適用より危ない。
(次ページに続く)