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(回答先: 「働かざる者、食うべからず」と《ベーシック・インカム》 投稿者 tk 日時 2007 年 12 月 30 日 11:37:51)
>tkさん どうもです。
>【それは、私たちが相変わらず古い考え方(パラダイム)に執着しているからです。すなわち、例の「働かざる者、食うべからず」ですよ。これはほんとうに私たちの中に深く根づいている、古い清教徒的な考え方です。しかし、事態を正確に見るならば、私たちはもうとっくにそこから抜けだしているのです。】
この言葉、一面的には真理です。
こんな事は「分かり切っている」のです。
乞食というのは「インテリも多い」のです。
恥の文化を断ち切れれば「ある真理に到達できる」のは「分かっている」のです。
「恥の文化」と書くから誤解されるのでしたら「勤勉が美徳という文化」と言い直しましょうか?
「働く事が美徳」という「憑き物」が落ちれば「社会の価値観が変わる」のです。
>【巨大な成功の結果なのです。つまり、ますます少ない労働でますます多くのものを生産するというプロジェクトが成功したわけです。】
ここに誤魔化しがあります。
近年になってからは、極端には生産性は「向上していません」
向上したのは「加工能力」であり、付加価値文化です。
仮に「日本全土を畑にしたとして、日本全人口を食わせられるほどの食料技術の飛躍的向上など近年に報告されてはいない」だろうと思っています。
百歩譲って日本の国土は日本の全人口の食料を賄えるとします。
「日本が鎖国してベーシックインカムを導入した」とします。
誰が「畑を耕す」のでしょうか?
「労働からの解放」は「全労働者の夢」です。
しかし、「見果てぬ夢」なのです。
誰かが「社会システムを維持させる役割を担う必要」があり、それは「みんなで分担する」という必要があるのです。
「働くざる者食うべからず」は、言い直せば「働かざる者食う事は出来ない」のです。
誰も食料を生産しない土地では「食料がない」のです。
繰り返しなっている気もしますが、乞食奨励法は「世の中に乞食を溢れさせる」のです。
乞食が溢れかえった社会で「生産能力が維持できるわけがない」でしょう。