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時々、日本人は「本当の意味でバカか?」と思う。
「郵政民営化」の議論の時、Kはついに「なぜ、郵政民営化をするのか?」について「まともな説明をする人には出会う事が出来なかった。」
http://kdesu.qee.jp/yuusei/cgi-bin/wforum/wf_admin.cgi
においても、様々な意見はあったが、どの民営化賛成論も「論理性」というものが感じられなかった。それは阿修羅での議論においても同様であった。
Kの「考察に歪みがあって、賛成論の意見を理解しようという気持ちがなかった。」という可能性もゼロではないだろうが、少なくとも「民営化による効果についてのプラスとマイナス」を見極めた上で「プラスの要素が大きい」との意見を堂々と主張された人はいなかったと認識している。
で、実際に民営化されて「2ヶ月以上経過したが、問題は山積しているようだが、全くと言って良いほど、良い事は見当たらない。」
料金は「上がっている」し「待ち時間は長くなった」のは実感できるが、どこにもサービスの向上は見当たらない。
Kの住むところは田舎なので、郵便局が「なくなる」という心配もある。
配達等についても「小回りが効かなくなった」という感じがする。
で、郵便局の社員に尋ねても「今後のサービス向上の予測はない。」らしい。
「自動車保険の販売」などは開始されるらしいが、社員数が絶対的に不足しているので、「新サービスなどしたくても、できない(物理的に不可能)」という話である。
多分であるが、郵政民営化賛成の人は「小泉総理が本気で遂行しているのだから」という理由だけで「何の根拠も考えずに賛成した。」のだろうと思う。
さらに、イメージとしての「公務員はサボっている」というような偏見があり、行政の失政(不景気と繁忙)を公務員虐めという「憂さ晴らし」によって晴らそうとしたという部分もある気がする。
この逆の事もある。
「君が代不起立運動」においても
「憲法改正議論拒否」においても、Kは左派から「なぜ、その運動が必要なのか?」を聞けなかった。
Kに「理解できなかっただけ」という可能性もあるだろうが、ともかく「相手側から、Kに理解できるような説明がされない」のが事実である。
そして「死刑廃止論」
今の所では、どうにか出ているのは「事件の分析」のために「死刑はすべきではない」というものだけと思う。
基本的に「個別分析」は「その事件にしか適用は出来ない」ので、費用対効果的に「社会的に有意義」とは言い難いだろう。
犯罪抑止に対する効果に対して疑問があるという意見もあるようだが、確かに「抑止効果が機能しない」という個別案件はあるだろうが、「抑止効果が働く」という場合もあるだろう。
事実として「未成年犯罪」においては「死刑にならない」という理由によって「凶悪化したケース」もあると言われている。
全ての「病気」には効かないという理由で「特定の病気には効果がある薬」を放棄するのは「論理的」とは言わないだろう。
哲学的な考察を深め「刑罰」を見つめようという考え方もあるだろうが、殺人事件というのは現実であり、「殺された人」に自分を置き換えて考えてみて、「許せる」場合もあるかもしれないが、「許せない」場合もあるだろうと思う。
罪を憎んで、人を憎まずとも言うが、遊ぶ金ほしさの「ワガママ」などは「情状酌量の余地もない」だろうし、現実的に「殺された者」にすれば「哲学では救えない」だろう。
それでも、Kの考察力など「あきれるほど、チャチい」
Kごときの意見など「アッサリと論破して踏み越えられない」ような「左派・人権派の意見」では「何も為す事はできない」だろう。
疑問なのは「最初に、結論があり」その結論に向かって突き進むという「憑き物」に憑かれているのか?と言う点
左派には「どこかの偉い左派の人が言った事」は無批判で受け入れてしまうという部分が間違いなくある。
「どこかの左派のひとが言った」とか「反自民の人の意見」と言うだけで「自分自身で検証もせず、論理的な思考で考えようともしない」のである。
左派ならば「この運動は支持しなければいけない」とでも思っているようである。
宗教の狂信者に近いと言えるだろう。
そうでなければ「心の中では、論理思考が成立しているが、巧く言語変換して言い表す事が出来ない」という可能性もないとは言えない。
いずれにしても「Kは物わかりは良い方」だろうと思っている。(自己評価)
この言い方が妥当でないと思う人もいるだろうから、念のために言い換えれば「Kより物わかりの悪い人はごまんといる」と思う。
Kが「依怙地」なのではなく、相手の説明がなっていないから、Kが「依怙地に見える」のであり、そもそも「Kには、変えようと思わない信念というような物」とは無縁の恥知らずなのだが。
それでも、流石に「何の論理性も説明されずに、信者になるという訳にはいかない」