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(回答先: 「裁判制度の不信」には「判決が甘い」という被害者遺族の思いも含まれています。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 12 月 15 日 08:04:10)
死刑が怖いので「死刑判決を受けそうな犯罪だけは犯すまい。」という心理が働く。では人間は「これをやれば死刑になるかどうか考えて」犯罪を犯すのだろうか?「これぐらいなら死刑ではなく無期懲役ぐらいだからやろう。」と思うのだろうか?こういう風に考える人間が多いという事を証明できない限り死刑がある事で凶悪犯罪を防止できるという効果は疑わしい。逆に確実に死刑になると分かっている犯罪を犯そうと思う人間は「どうせ死刑なのだからなるべく派手な犯罪をしよう。」という心理も働くのではないか?この世に何の望みも無く「もう死にたい」と思っている人間にとって死刑はさほど恐ろしくないという可能性もある。自殺者が多い現実は一定の精神状態にまで達してしまった人間に死はもはや恐怖の対象ではないという事だ。むしろ、嫌な事だらけのこの世からオサラバできる事が甘美な事に思えるハズだ。死刑になるような凶悪な犯罪を犯す人間にとってこの世は無意味である可能性が高く、従って死も恐怖の対象ではないだろう。よって死刑に凶悪犯罪の抑止効果があるかは甚だ疑問である。では、死刑を廃止すれば犯罪は多くなるのか?終身自己分析の刑に処せられた犯罪者の自己分析の文章をネットで公開する事は読む人に犯罪を犯すまいと決意させる効果もあるだろう。死刑にしてしまってはそのような事はできない。誰でも犯罪者になり得るという事を想定して広く犯罪者の自己批判文を公開する事が最も犯罪の抑止になるだろう。犯罪者の死の間際にまで続けられる自己批判の威力を想起せよ。犯罪者個人の問題に矮小化する限り犯罪はなくならないだろう。「早く死刑にしてくれ。」という犯罪者の声は「生き恥をさらすよりも死んだ方がマシだ。」という心理だろう。この意味でも死刑に犯罪抑止効果があるかどうかは疑問だ。