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(回答先: 死刑になるような犯罪を犯す人間にとって死刑は恐怖の対象であるのか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 12 月 15 日 15:03:18)
ワヤクチャさん どうもです。
>【死刑になるような犯罪を犯す人間にとって死刑は恐怖の対象であるのか?】
全ての人に当てはまるか?は別にして「恐怖の対象」となる人もいると思うのが「ごく自然」だろうと考えます。
>【人間は「これをやれば死刑になるかどうか考えて」犯罪を犯すのだろうか?「これぐらいなら死刑ではなく無期懲役ぐらいだからやろう。」と思うのだろうか?】
思う人がいないとは言い切れないと思っています。
全ては、ケースバイケースでしょう。
>【こういう風に考える人間が多いという事を証明できない限り死刑がある事で凶悪犯罪を防止できるという効果は疑わしい。】
ここは、致命的な考え違いか、もしくは恣意的な詭弁です。
【こういう風に考える人間が多い】と言う事など証明する必要性はありません。
これ、多数決の問題ではなく、例え一人でも「いる」のなら「一人分の抑止にはなる」のですから、多少なりとも【死刑がある事で凶悪犯罪を防止できるという効果】はある。
と言うのが正解でしょう。
死刑制度の存続廃止については「多数決」の項目かもしれませんが、死刑の「抑止効果」については「一人にでも抑止力が働けば、それで効果は皆無ではない」のです。
ただし、費用対効果という部分はあり、効果が極少数にしか作用しない事を持って、「効率的ではない」という事なら、「実効がない」と言う事にはなる可能性はあります。
>【逆に確実に死刑になると分かっている犯罪を犯そうと思う人間は「どうせ死刑なのだからなるべく派手な犯罪をしよう。」という心理も働くのではないか?】
可能性としてはあり得るでしょう。
でも、今度はレアケースの強調です。
更に言えば「このケースでは、死刑を恐れている」という裏返しでしょう。
「どうせ死刑になる」という「ある一線を越えたので、これ以上は同じ」というの前の段階では「死刑に対する恐怖心があったと言う事でしょう。