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(回答先: Kさんは個人を優先する考え方なのですね。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 11 月 10 日 19:08:29)
>ワヤクチャさん どうもです。
Kは必ずしも個人優先主義に振ろうとしているわけではありません。
すでに書いていますが「企業が労働者を道具にしか見ようとしないのなら、労働者も契約の法を見るようにした方が良い」と主張しているのです。
持ちつ持たれつであり、企業が労働者を大切に扱うのなら、労働者も組織のために多少の過剰サービスをしても良いかな?とも考えています。
ちょっと説明しましょう。「自分の歯」を考えて下さい。
歯磨きして大切にしなければ「虫歯になって困るのは自分」です。
企業も「自分の身体の一部として労働者を扱う」のが基本です。
しかし、ここは「一方的に放棄された」と言えるような現状では、労働者は怒りを持たなければいけないと思っています。要は「虫歯となって企業を苦しめて良い」と言う事です。
労働組合についてですが「既存」の組織のやり方は限界だろうと思っています。
労働組合が主体となり、労働者を誘導する方式では「もう無理」なのです。
多様化する価値観の中で「労働組合はサポートに徹して、組織という、維持するような実態を持たない集合体に変化するべき」と考えています。
非常に難しい命題ですが、例えば「インターネットに存在する相談組織」というのも一つの形です。
「法律の専門家が何人か揃っていて、気軽に相談できて、適切なアドバイスが得られる。」
必要な時には「相談者の個人的な契約で契約をする事も可能」
企業に依存した「企業の衰退に直接的な因果関係を有している企業内の組織」では限界があるのです。労働組合が企業に媚びたら「被害者は労働者であり、組合員になる」しかないのです。
少なくとも、労働運動は企業とは経済的に完全に独立した立場でないと「行動が制限される」と言う事になります。企業が潰れ「組合の構成員が給与を貰えなくなる」という心配をしながら「法律通りの論理など振り回せない」でしょう。
審判としてのジャッジは「その企業とは関係の無い善意の第3者」が下す必要があるのです。
すべての「労働者の希望」が正当とも限りません。
人間は「自分本位であり、ワガママな本性も持っている」のです。
その「ワガママを押さえる」ためには「集団としての常識・良識」という主観以外の価値観と接する必要もあるでしょう。
「個人主義に陥れば、自らの主観に憑かれる」という事もあるのです。
個人主義に振りすぎるのは危険なのです。
人間というのは一人では生きられないのですから、集団とも関係も考える必要はあるのです。
バランス感覚と言う事ですが、現在は「集団の利益優先主義に振れすぎている」のです。