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前から、気にしているのだが、人の価値基準は千差万別である。
その中で「努力の基準」というものに対して、前々から疑問を持っている。
Kは自分では出来ないであろう事を他人に求めるのはおかしいと思っている。
ここは、出発点である。
しかし、世の中には往々にして「自分でやりもしないことを、他人に求める」という風潮がある。
Kは逆にKに出来るとしても「それが出来ない」からと言って「努力が足りない」とは断定できないと考える。
Kに出来ないこともやれる人はいる。
しかし、得手不得手の範囲と適材適所という部分で「誰々が出来るのだから、それを出来ないのは努力が足りない」というのは少しおかしいのだろうと思う。
価値観・思い込み・こだわり・信念・食わず嫌い・・・
表現方法として何が適当か?は別にして、「なんで、そんな事もできないの?」と思った瞬間に先入観に憑かれてしまっているのだろう。
Kも若くはなくなってきたので、色々と相談されることもあるのだが
「とりあえず、その不満、上司にぶつけてみれば?」などとアドバイスをすると、ほとんど拒否反応を示される。
なぜか「それは出来ません」となる。
今、Kに言ったことを「上司という違う人に言うだけ」なのだから、出来ないわけがないのだが、どうも、それほど簡単な事でもないようである。
Kならば「Kに相談する前に上司に噛みつく」だろうから、今一理解し切れていないのだろうが、これを考えるのに、多分、上司の心証を悪くしたくないと思っているのだろうと推理する。
さらに「上司に不満を言う」という「誰にでもできそうな簡単な事を出来ない者」は「努力が足りない」と切り捨てて良いのか?とは考える。
で、なぜか、Kが「Kの意見として上司に不満を言う」という結果になる訳であるが、その割にKが評価されちゃったりする。(←ここは、大迷惑である)
公平な自己評価をしてKの能力は「恐ろしく低い」
それなりに「真面目」ではあるが、能力的には最低で「努力もしない」
仮にKが選ぶなら「こんなKのような奴だけは、絶対に役職など与えない」
しかし、Kの思い通りにはならない。世の中「人を見る目のない奴ばかり」である。
Kは「ゲーマー」であり
「オタク」であり、「遊び人」であり、性格も破綻している。
暇があれば「遊んでいるし」暇がなくても「遊んでいる」
努力なんか少しもしていないし、する気もない。
多分であるが、今更、努力しようと思ってもさび付いてしまっているだろう。
そんなクズのようなKが人並みの収入を得ているのに、Kよりも優秀であろう人材が「それなりに努力をしても、ワーキングプアとかニートと化しているのだろう。」
そこはなんとかしなくては不公平だろう。
一つ確認したいこと・・・
Kは田舎の住人なので分からないのですが
「都会では、仕事を選ぼうとしないで、何でもやる気になれば、自分が食べて、暮らしていくくらいの仕事はいくらでも見つかる」
「その上でニートだフリーターだのやっているのは、努力が足らない」
「それは、自己責任だ」
というのは本当なのだろうか?