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人間と云うのは「ミスを犯す動物」なのである。
精密機械ではないのだから「間違いはある」のである。
最近の風潮として「他人のミスを理由に、ここぞとばかりにリンチを行う」と云う傾向を感じる。
まあ、それだけ、国民全体が「苛立ち」「寛容さを忘れ去っている」のだろうと思うが、これ以上酷くなったら「自分で自分の首を絞める」という段階ではなくなって、ミスを起こした者は「生存権を失う」という事になりそうである。
一つの象徴される減少として「ブログ炎上」というのがある。
不用意な言葉を使用した事によって「袋叩きのリンチ」が行われ、収集が付かないと云う状況になる。
一時的なフィーバーの中で「良識」「思い遣り」といった優しい感情が消え去り、「いじめ」という現象が出来上がる。
この様な事を「楽しいと思う感情が人間にある」のだから、学校で発生する「いじめ問題」など解決するわけがない。
本能なのか?どうなのか?は分からないが、人間の品性に「他人の不幸は我が身の幸せ」という部分があるのである。
ミス(=過失)と確信犯的な非違行為は区別する必要がある。
仮にミスによって発生したものでも「他人に対して損害が発生した」場合は「損害の是正義務」は発生するだろう。
しかし、法的な罰則と云うのは「最小限」に留めるべきだろう。
増してや、感情に駆られた「リンチ的攻撃」は許されるべきではない。
その一方で「時間的に不可能」である事によって生じた「作業の不完全」については、当事者ではなく「システムの構築者(=経営者)」に責任がある。
勤務拘束時間が終わったので「この仕事は後に回そう」というのは当たり前の判断であるという味方が出来る。
人には都合があり「何時まで、どこかに行かなければならない」というようなスケジュールもあっても不思議ではない。
「仕事が終わらない時は、超過勤務を行うのが当然」と云うのは「一方的な企業論理」であり、労働者側にすれば暴論であろう。
その結果として「不都合があった」として、それは人員配置を行った側の責任であり、作業当事者には責任はないだろう。間に合わない仕事なら「人員予算を配備し、間に合う人員配置をすべき」なのである。
社会保険庁問題では無いが、責任を当事者(現場)に押し付けて責任逃れをしようとする輩こそが「犯罪者」なのである。
日本人の体質として「赤の他人にはクレームを付けるが、知り合いには気を使う」と云う部分があり、大抵の場合「上役には逆らわない」という忠犬根性がある。
システム的な「不合理」に気が付いても「それを言えない」という部分があり「更には、それを背負ってしまう」という部分もある。
その中で「ミス」が生まれる。
時間的に余裕のない中で「システム的な問題の部分を背負ってしまう」のなら、既に限界を超えているのだから「ミスは起こるべくして起こった」と言えるだろう。
問題の本質は「日本人の性質」と云う部分にもなるが、「他人のミスは許し、上層部のミスには問題提起を積極的に行う」という国民性にならない限りは、日本社会は良くならないと云う気がする。
グローバル化の中で「過労死・過労自殺」も多く報告されている。
「企業に雇われている」という使用人根性から「企業とは契約関係にある」という意識変換が必要である。
企業側が「君の変わりはいくらでもいる」と考えているのなら
「辞めたい時に即、辞められる」という法整備が必要である。労働者と企業は対等ではないのである。