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ハッキリ言おう。
自民党も民主党も「金持ち(財界)との関係の中に既得権」を有し、その資金によって「政党の維持をおこなっている」
既存の国会議員は押しなべて「金に困っていない」と言える。
例外があるとすれば「党本部の事務所の事務員の給与の支払い」にも苦慮している社民党くらいだろう。
根本的に「金に困っていない奴」には「貧乏人のための政治はできない」のである。
財界と政党の癒着構造がある限り、政治は「庶民のための政治にはならない」
また、党が特定の宗教や思想団体によって支えられているとしたら、その党も「庶民のための政治は行えない」だろう。
基本的に今度の参院選は「既存の政党政治から脱却できる芽が植えられるか?」と云う位置付けが最大の課題だとKは考える。
具体的には「選対がしっかりした組織となっていない市民運動の延長」であっても、議席を確保できる実績が残せるのか?が勝敗の目安である。
自公の過半数割れも「一つの重大な目安」であるが、この部分は衆議院の関係から「政権交代」にはならず、政治的判断という「財界の論理」によって、何とかなってしまうのだろう。仮に自公が負けても「政局的には大きな変化はない」のである。ただし、政党的には再編成的な変化があるという可能性はある。
その場合でも「共産党」が政権与党に入る可能性はゼロであろうし、政治の方向性は「ほとんど変わらない」と云うことである。
逆に言って「自公が大負けした結果として、自公民が財界利権構造与党にでもなったら、自公が過半数を維持していた方がマシ」という結果論もあり得るのだろう。
「政界再編成」になりかけても、誰だって「財界と繋がっていた方が良い」と判断する可能性があるのである。
利益と利権構造の前に打算が働き「理念より実益だ」と判断して「みんなで団結」してしまうという可能性は低くはないだろう。
で、残る野党は「健全野党を自認して自己満足に浸る共産党」という孤高の「理窟屋集団」と、消滅寸前の「社民党」となったら、「これを最悪と言わず何を最悪と言うのだ?」という状況になるのだろう。
何としてでも「この参院選挙」では、政党主導政治から「国民主導政治」への足がかりを作らなくてはならない。
イデオロギー主導、宗教主導、財界等の一部の利益者主導の政治では「永遠に庶民は飼い殺し」である事に気付かなければいけないのだろう。
前郵政選挙時、国民は結果的に「国民の側に立って党を離党してまで戦ってくれた国民新党に代表される反郵政民営化議員を裏切った。」小泉チルドレンなる「急ごしらえの政治家」が多数政治家になった。
それでは、誰も「国民のための政治」などしてくれないのだろう。
まずは「国民の側に立ってくれる政治家」を応援する必要がある。
次に「人権憲法を守ってくれる政治家」を応援する必要がある。
その後に「憲法9条を守る約束をした政治家」の応援がある。
最後が「自公の過半数割れ」に有効な候補者の応援であろう。
どうも、新党日本は空中分解したようである。
更に国民新党まで消滅するなら「小さな政府」と云う名目の「福祉切捨て」は公務員の削減と共に加速するだろう。
最後に残る公務員は「警官」と「自衛官」だけになる。
既存の既得権は否定する必要があるが、それは「財界との癒着構造」である。
「国民新党」と「9条ネット」という芽は次世代に残さなければならないだろう。