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「日本のいちばん醜い日〜8.15宮城事件は偽装クーデターだった」鬼塚英昭/成甲書房‘07年(から一部引用)
・軍人は殺され、国民は爆撃死しているとき、天皇とその一族や侍従たちは、巨大な金庫室の中で生き延びるべく闘っていた。何に対してか。アメリカに日本を売りつけ、日本の軍人や国民を戦争好みの人種に仕上げるためにだ。その手先たちが、平成の世になっても、天皇賛美の歌をうたい続けている。P317
・藤田尚徳の『侍従長の回想』の中から一文を引用する。
「やがて夜は白々と明けて8月15日。…陛下は声を落として申された。
『藤田、いったい、あの者たちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持ちが、どうして、あの者たちには、分からないのであろうか』
暗然とした表情で、つぶやかれた」
天皇が藤田尚徳に語ったあの日こそは「日本のいちばん醜い日」であった。あのときの言葉こそは、「日本のいちばん醜い言葉」であった。P354
・歴史家松重楊江が著者に語った説。
「明治維新で職を失った旗本たちの娘の中から、美女を選び城内に入れて「千代田遊郭」なるものを伊藤博文らがつくりました。そこは、天皇や重臣たちの遊び場でした。
・『国際金融同盟』の中の一文は、「戦争とはなにか」を如実に示している。戦争は国家間の利害、憎悪の衝突から起こるものだけでなく、巨大はマネー・ゲームでもある。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。天皇とその一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。
・ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、ウラン鉱の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が(このことを)6月8日直前に天皇宛の文書でヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。P511
・あれだけの大惨事を見て、米内海軍大臣は“天佑”だと叫んだのである。天皇も「終戦の詔書」の中で一回触れたが、それからは一言も非難の声をあげなかった。その時だけが例外ではない。P521
・日本にとって、天皇にとって都合のよいことが原爆投下によってもたらされた。天皇はこの直後に、アメリカから“天皇制護持”の約束を与えられていることだ。そして、御前会議を開き、ポッダム宣言受諾を決定する。間違いなく、原爆投下と交換条件である。アメリカは、アメリカ国内よりも日本での非難を恐れていたと思う。…国際金融同盟の連中は、「さすが、スティムソン、よくやってくれた!」と快哉をあげたことであろう。「これで日本は、永遠に俺たちの奴隷の国になったぞ」と。P522
・天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ではどうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理をつけられる見通しがたったからである。
この広島の原爆で、第二総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。8月6日8時ごろに、多数の第二総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。この日、間違いなく、第二総軍の全員は、8時ごろに集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第二総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが、この総司令部に行っていないのである。P524-528
(引用終わり)
〔臭うぞう〜コメ〕
(諸兄のご健勝を祈念しつつ、本年もよろしくお願いいたします)
分厚い本である。昭和天皇の戦争犯罪に真正面から切り込み、容赦しない。
太平洋戦争に引き釣り込んでいった首謀者は昭和天皇であった。昭和天皇が南進策を主導し、戦争を長引かせてその間、私財の蓄積もはかった。最後は原爆投下と引き換えに、国体護持を獲得した。昭和天皇の「原爆やむをえない」発言は、1975.10.31、日本記者クラブでのことであった。
厖大な資料を渉猟しながら点と点、線と線の間はたくましい推理力で補っている。だからすべてを完全に論証しつくしたとは言えないと思うが(著者もそのようなニュアンスで述べている箇所がいくつかある)、論理の運びが荒唐無稽なものとは思えない迫力と説得力がある。鬼塚氏は大分在住の竹細工職人。これで生計を立てているから天皇タブーに挑戦できるとも言える。しかし命がけであろう。