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(回答先: 如往さん、ご質問ありがとうございます。 投稿者 haru 日時 2007 年 10 月 03 日 20:04:02)
haruさん、こんにちは、レスをありがとうございます。
私はharuさんの問いかけにたいし正確な応答ができるような政治史の専門家ではなく、つまりキャッチ・ボールの相手としては相応しくないかも知れませんが、お互いに今少し基本的な知識の蓄積を重ねての交信を心掛けたく、またそう希望してもおります。
>私は、自由、平等、博愛という思想こそが、人類の欲求の歯止めをなくし、今の現実を生み出したのではないのか?と考えております。
「自由、平等、博愛」が所謂ブルジョワ民主主義の旗印であったことは今では歴史家の誰もが認めている定見ではないでしょうか。ただし、それが今日の市民社会の中でどのように息づいていて如何に影響力を保持しているかについては諸説乱立の様相を呈しています。また、歴史過程の進展の度合についても国家それぞれに多様であり、おそらく「自由、平等、博愛」と云った理念でさえも相当に変形して来ており、最早原型を止めてはいないかも知れないのです。
以上のことを踏まえつつ、人類の営為のメルクマールとしての“民主主義”は、それが高邁なる理想であるが故に未だに達成されてはいないと考えています。その主なる原因には現近代の民主政を担うべき当事者能力の所在が不明確なことや何よりも“民主主義”を担うべき主体の当事者意識が十分に涵養されて来なかったことが挙げられるでしょう。そして、それは単(ひとえ)に共同体に生息している構成員の自覚の如何に密接に関係していますし、その意味では“本当の民主主義革命”とは予め存在しているものでなくて、構成員の手によって創られていくものだと謂えるでしょう。
>さて、現在の状況の私の批判的視点を述べましたが、私自身、現在の社会システムを甘受し、のほほんと暮らしているという事もまた事実でありますが、日々変化する周りの環境に対して、声を上げずにはいられないという衝動を持っております。
>では、どうしたらいいのか?
>中略
>今一度、なぜ、ここに生まれてきたのか、その意味を問いながら、衝動に突き動かされる日々であります。
遺憾ながら、haruさんの周囲の状況がどんなものか知る術や“声を上げずにはいられないという衝動”の本源を知る由もありませんので軽々なことは申せませんが、今暫くは状況認識・歴史認識を深化させることに勤しまれては如何でしょうか。地球時間は我々が持つ個別的な時間よりも遥かにゆったりと流れているもので、どう足掻いてみたところで一個の人間がそれに抗うことができるものではありますまい。しかし、それでも求めれば己の衝動のベクトルを検証するための媒介項に出遭うことは幾らでも可能ではないでしょうか。例えば人間活動の意味を知ろうとすることに際しても、生ある内にどれだけ多くの媒介項を試すことができるかが、左右何れの登山口から登攀しようとするかに関係はなく共通のテーマとして現前して来ると想われるのです。
また、会いましょう。