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(回答先: ブチブル的堕落 投稿者 張良 日時 2006 年 12 月 24 日 15:17:53)
>それはそれとして、引用されている“日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。
今の日本にも受け継がれています。
>例えば、日本人の食欲を満たす為にどれだけの食料・資源が輸入されているでしょう。いや、輸入は構いません。輸入のあり方が問題です。国際貿易における通貨価値の違いは、開発途上国に対する収奪を当たり前の取引という外見で覆い隠します。日本人の食生活は途上国の資源とその地に暮らす人々の労働を奪うことで成り立っています。この事実に眼を向けず、罪なき生活人を自認する事は犯罪的ですらあります。
そうですね。民主主義の国に隠された暴力がそれだと思います。
>今日の日本人は、一人の例外もなく、地球的視点に於いてブルジョア階級そのものと言うべきでしょう。そうした自覚に欠ける意識・議論では、現実を読み解くことも、まして変革することなどは不可能と言うべきです。思えば、日本の労働運動がすっかり弱体化してしまったのも、その実質に於いて労働者階級ではなくなったからでしょう。左翼の衰退はソ連崩壊だけが理由ではないと思います。
>今日の日本社会を一言で表わすなら、ブルジョア的堕落でしょう。あるいは、ブチブル的堕落でしょう。王朝の荘園や公領を徘徊し、命をつなぐ僅かな糧を得るために労働に従事した哀れにも狡賢い放浪者たちと今日の日本人に共通点はありません。全く別の階級であり、別の文化に生きています。
それは表面的にはそう見えるでしょうが、着々と地方経済は北朝鮮状態に近づいているのです。首都しか電気のつかない北朝鮮と今の日本の状況は無縁ではないのです。この国の絶望と苦悩、貧困は隠されています。この国の貧困は見えないし、本当に食うに困っている人は一人でひっそりと死んでいきます。日本人が全てブルジョア階級に見えるのは東京の街が美しいからです。これは地方の現実や隠された貧困を映しません。この国の貧困層はひっそりと死んでいく。一人の例外はある。貧困に苦しむ労働者階級は一人であって、彼の苦悩は東京の街には似合わない。
列車自殺で多くの人に迷惑をかけるのは止めて欲しいです。また、自殺した遺族に賠償金請求が来ます。
死ぬ時は 一人で死ねと 山手線
日本人全員がブルジョア階級な訳がない。でも、東京にいると日本人全員がブルジョア階級に見えるし、そう振舞っているようにも思う。この国のどこに孤独死があるというのか?どこに過労死があるというのか?どこにホームレスがあるというのか?
TOKIOは教えてくれないのだ。クリスマスツリーはまるであたかも日本人全員がブルジョア階級であるかのような錯覚を与え、今日も平和だったと思わせるのだった。
睡眠と休養と治療が欲しい人がいる。一方で国保保険料が払えない人、一方で無造作に捨てられる大量の食糧、あの餓死した人は食えなかった。
この国の労働は益々強化され、多くの職場が監獄化されつつあるというのに、この平和な雰囲気は何?どこに頭を抱えている人がいるというの?原宿を、秋葉原を、新宿を歩く人の、どこに絶望がある?どこに自衛官の首吊り死体があったというのか?どこにストレスで脱毛する人、吐血する人ありや?
TOKIOは今日も平和だった。