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(回答先: チベット問題・関連情報【1949-2008】3/18版 投稿者 たそがれ竹べえ 日時 2008 年 3 月 18 日 23:45:15)
チベットの歴史
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/250.html
投稿者 tk 日時 2008 年 3 月 18 日 00:57:30: fNs.vR2niMp1.
ダライ・ラマ派というのはグシ・ハン王朝時代(1642年〜1724年)からの王党派といったところのようです。この王朝は明代末期、清朝との並立時代に一時的に成立していた独立国。清朝が安定すると、再び中国に呑み込まれた。
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シムラ条約 1914年7月3日【wikipedia】
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/251.html
投稿者 tk 日時 2008 年 3 月 18 日 02:16:36:
清朝から中華民国に替わった後に、イギリスが傀儡政権を作った条約。ただし、どこからも承認されず。ダライ・ラマ13世は就任を拒否した。協力したパンチェン・ラマ9世も1923年にイギリス帝国による傀儡政権を通じた半植民地支配に反発してチベットから脱出した。とかや。
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チベットは、中国が分裂しているときには独立し、中国がまとまると呑み込まれる、といった歴史の場所のようです。
それからいって、ダライ・ラマの非独立、自治領方針というのは歴史を踏まえているといってよい。
「チベット独立」というのは旧ソ連地域国家の民主化とか、コソボ独立と同様の米英の謀略でしょう。
ただ、自治といっても、中国社会の《資本主義》の進出で、チベット独自の文化が押しやられて、地域においても少数民族になってしまう、というのはかわいそうなことである。どうにか良い方法はないか、と思案するところではある。そのために、「独立」が良いのかどうかは、どうかなあ・・・。コソボ方式で、米英の謀略に乗っかって独立しても、チベット人の利益にはならないと思う。