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(回答先: 国家の存在様態がmutualであるのは昔も今も同じ 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 3 月 20 日 17:38:11)
>彼岸楼さん
見逃していました、すみません。
はい、原則は仰られるとおりだと思います。
ただ、この頃考えが纏まらないでいます。
昔、アラブに2年ほど住んでいたことがあるのですが、欧州列国に線を引かれた国境だけではなく、遊牧民による農耕民族への蔑視、パレスチナへの差別も見てきました。
実は、私の前妻は米国人で、子供も米国にいます。
今の結婚での子供も、米国で生まれたので、二重国籍です。
親友と呼べる、信頼している米国人もかなりおりますし、「このやろう!」って頭に来る米国人もいますが、同じくそんな日本人もいます。
だから、彼岸楼さんの書く米国(私も同じですが)と、そこに住む家族や友人とは別にしています。
しかし人と国を分けて考えたいのですが、その人が集合体になったら、、、、みんな結構愛国心に燃えています。
愛する国ってなんだろう?(サッカーでもオリンピックでも)と常々考えさせられます。
人間と言う生き物の習性かな?とかとも考えます。
私が非難するのは、米国人と言う集合体の方々ではないはずで、一握りに指導者たちって思うこともあるのですが、そんな人でも、自分の子供を愛する気持ちは同じだろうと思うと、、、、。
実はタイと言う国には、相続税がありません。
それじゃいつまでもお金持ち家族はお金持ちのままかよって思ったのですが、お金持ち(凄く信頼している良い人なんですが)は、「自分の子供のために必死で働いて、お金貯めるのが悪いのか?」と真顔で聞かれると、そうかなぁ〜とも思ってしまいました。
そんな訳で、考えは千路に乱れておりますが、歴史も政治もおいておいても、今チベットで行われている事は、間違っていると思っています。
やめさせるには、オリンピックも参加しなければ良いと思っています。