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(回答先: だったら、全ての事象が共同主観となって、真理に限り無く近いってことにならないのかな? 投稿者 CCマーク 日時 2006 年 10 月 16 日 00:01:14)
「ぎょうざはうまい」という共同主観から
「9.11はアメリカ政府の仕業」という共同主観まであります。
あらゆる事象を包括的に矛盾なく説明できる共同主観こそが我々の求めるものでしょう。
複数の共同主観の間に矛盾が生じますといずれがより真実に近いかをめぐって論争が起こります。
その論争の過程で共同主観はより精緻なものに変貌するのです。
資本主義VS共産主義というイデオロギー闘争の過程で人類は様々な認識を得たと思っております。
「市場経済に対する政府による統制と富の再分配」というのが正解だと私は思っております。
これは市場原理主義や官僚統制型計画経済という両極端をそれぞれ批判して生まれてきた考えです。
スティグリッツがこういう考え方です。
このように共同主観間の闘争によってより真理に近い新たな共同主観が発生するのです。
物事を固定的に考えず動いて変化し続けているものとして把握する必要があるのです。
これが弁証法の意味です。