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(回答先: 思う事がなければ何も始まらない。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 10 月 16 日 23:55:38)
>複数の共同主観の間に矛盾が生じますといずれがより真実に近いかをめぐって論争が起こります。
>その論争の過程で共同主観はより精緻なものに変貌するのです。
ワヤちゃんは、前に「真理そのものを正確に把握しようってのは人間の手に余るのです」、「真理は決められない」って言っていたけど、真理を把握できないのに、どーして真実に近いって論争が成り立つの?で、それで決まった方が真理に近いって、どーしてわかるの?
真実は論争では決められないのに、真実に最も近いっていうことは論争で決められちゃうっておかしかないかい?
>地球は丸いというような認識です。
>最初は地球は丸いとは思われておりませんでした。
>しかし、通常は真理と思われている事が根拠が曖昧な事が多いです。
>だから大多数の人が賛同する考えも強力な共同主観と捉える方が真理に近づき易いと考えます。
「強力な共同主観」ってどーいうことかな?それは真理に近いという意味で強力ってことかな?
ただ、多数決の方を真理に近い共同主観だって捉えるのは、全く曖昧な基準じゃねーのかな?
信じ込ませて、洗脳できたもの勝ちってことにもなり得うるんじゃない?
地球は丸くないって言うのも、当時は大多数の意見だったよね。
また、地球が丸いって言う今の見解も眉唾だと俺は思うよ。だって俺達の主観って、時間と空間に拘束されてしか把握できないだろ。この次元より高次元から見たら、全然丸くないってこともあり得るんじゃないのかなー。それは二次元においては、球体と円柱を見分けることができないようにさー。
で、そこの二次元の世界で生きている誰かが「あっこれは円ではなくて球体だ!」って知覚できたとして、それは「ありえねー」って却下されちゃうワケじゃん。
その却下している方はこう叫ぶんじゃないかなー。
「共同主観の構築を!球体なんていう馬鹿げた少数意見は、しょぼい共同主観だ!我々は、我々の素晴らしい共同主観をその馬鹿げた奴等にまで浸透させなくてはならない!」
とかね。
もしくは、
「我々はこれを円ではなくて円柱(実は球体)であるということで認識しているが、この斬新なアイデアを世に認めてもらうことで、一儲けしたい。なんとかこの共同主観を育てるには、権威あるところからのお墨付きをもらって、洗脳するしかない!育てよう共同主観を!」
とかね。
こんなののどこが真理に近づいているの?
「共同主観の構築を!」とか、「共同主観を育てる事」なんてあまり意味ないんじゃないの?