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「天性の奴隷」は、待遇改善を要求/模索することはあっても、奴隷でなく対等な人間にしてくれ、とは言わない。
そこまで望むのは「畏れ多い」ことであり、そんな要求をしたら今の奴隷待遇が悪化するだけだ、と考える。自己規制してしまうのだ。
そして、他の奴隷が「身分制度」の不当を訴え不当な「職務」を拒否すると、大慌てで止めに入る。
「そんなことをして奴隷支配の規律を乱すことは自分の『美意識』に照らしても、また『職務命令の絶対性』に照らしても、許されないことだ。
ここはやはり、職務命令には従おう。でなければ奴隷監督者様にも申し訳が立たない。
支配者・監督者様にご迷惑をおかけしないような形で待遇改善を訴える方法を考えればいいではないか。」
「『迷惑』をかけてはいけない」との強迫観念に囚われた彼らは、結局のところ、支配者・監督者の目の届かない所で、「愚痴」を言うだけだ。
それも、「奴隷制度はなくすべきだ」と愚痴るのではなく、「待遇を改善してもらいたいもんだ」と愚痴を言うのみ。
しかも、小さな声でだ。
「支配者様に聞かれでもしたら大ごとだ。監督者様が『管理責任』を問われることになって『ご迷惑』をおかけしてしまうし、自分の待遇だってこれ以上悪化したら困るもんな…」
かくして、支配者は未来永劫安泰であり、奴隷も未来永劫奴隷のままだ。
自己規制した奴隷はそれでも自業自得。
だが、奴隷の地位から抜け出そうとした者は、迷惑どころの話ではない。
この多数の「天性の奴隷」の存在ゆえに支配者に対抗するだけの力が持てず、支配者による不当な待遇も、また抵抗したことに対する不当な処分も、続くのだから。
また、その種の抵抗など許されないと考える奴隷が多ければ多いほど、抵抗を試みる者は苦しませられる。
抵抗者をなじる奴隷集団は「支配者」と同等の圧力をもって抵抗者らに迫るからだ。
「天性の奴隷」は、せめて、抵抗者らを温かく見守るということができないものか。
それともそれは奴隷の「美徳」に反することだからできないか。
思想、信条、良心に反することをしない/させられない自由。
この程度のことが、秩序とか「美意識」のせいで認められない国は全体主義国家だ。
認めようとしない国民は全体主義者だ。
人間を軽視している。
そして、「秩序」「権威」「職務命令」に盲従する「天性の奴隷」である。
(以上、昨日の夜中に思いついて作ったメモをそのまま掲載)