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(回答先: 天性の奴隷 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 23 日 10:50:38)
heartさん、どうもです。
>思想、信条、良心に反することをしない/させられない自由。
大枠の考え方としては、素晴らしいと思いますし、また、理想であるとも言える。
でも、これは、残念ながら、かなり達成が難しい”理想”だと感じる。
自分の「思想、信条、良心に反することをしない自由/させられない自由。」は、
反面で、他の人の「思想、信条、良心に反することをしない自由/させられない自由。」と
衝突せざるを得ないことが多いからだ。
だから、やはり、個別の事例・事例で、その都度、是非を議論して、皆で判断していくしかないのかなぁと
思っています。
例えば、どこかの無法者テロ国家が攻めて来たとして、日本を守るために、武力を行使してでも
抵抗したい人に、戦争は絶対悪だから、いかなる場合でも武力を用いてはならぬと言った時、
もうこの時点で、「思想、信条、良心に反することをしない自由/させられない自由。」の
衝突が起きているのです。
余談ですが、わたしの思想は、後者の「戦争は絶対悪だから、いかなる場合でも武力を用いてはならぬ」です(笑)
武力を使ってまで、自分の生命・財産・価値観を守ったり・広めたりしたくないという”価値観”です。
でも、警察力は認めていますので、泥棒・殺人者に対してまでも、無抵抗という訳ではないですよ。念のため。
話を戻します・・・
ですから、わたしは、抽象的な言葉を前面に掲げて、議論することは、あまり好きではありません。
何事も個別具体的に考えて、個々に、是々非々していくしかないと思っています。
だから、「思想、信条、良心に反することをしない自由/させられない自由。」では、ダメなのです。
最終的には、「何を認めて」「何を許さないか」を、他者に対して、結局、ハッキリ言うことになると思います。
その上で、具体的事例で、議論していく過程で、相手の価値観が変わっていくこともあるのではないでしょうか?
heartさんたちの「日の丸」「君が代」論争を、しばらく読んでいて、わたしも、最近の国家権力の横暴には
目に余るものがあると、真剣に思い始めましたので、抵抗運動を応援してあげようという気にもなってきました。
なので、抵抗運動のあり方に疑問を呈している人、全般を「天性の奴隷」と切って捨ててしまわれるのは、
可哀想だと思います。
生産手段や一定以上の財産を所有していない人は、皆、大なり小なり「天性の奴隷」なのですよ(笑)
奴隷同士で、いがみあっていては、真の敵である”強欲者”(=戦争扇動主催者)の思う壷になってしまいます。