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(回答先: 場合によっては不本意な服従も必要であり、そこには理由があるはずだと私は思うのです。 投稿者 haru 日時 2007 年 1 月 23 日 19:28:30)
こんちわ
haruさんは、<奴隷制>問題を親子関係に例えておられますが、まことに好例だと思います。
<奴隷制>の精神的な拠り所は、奴隷を一段劣った人間、未成熟な人間と位置づけることでしょう。
子供を一段劣った人間とするのは如何なものかとは思いますが、未成熟な人間ではありましょうね。
しかし、奴隷と子供の違いは、子供の場合はいずれ一丁前の人間になることを前提としていまうが、奴隷にはそれが期待されていないということでしょう。
当事者としての子供は、いずれ一丁前に認められるという期待があるからこそ親の支持に従えるのでしょうね。一方、奴隷にはその期待はありえない。
奴隷も子供も、現状に従わざるを得ないという面は同じですが、未来の可能性という意味では全然違うと言えます。
奴隷身分で良しと考える奴隷は、やはり<天性の奴隷根性>でしょう。そういう奴隷が良い奴隷なんでしょうね。