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(回答先: 天性の奴隷 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 23 日 10:50:38)
heartさん、こんにちは。
奴隷という言葉は、日本古来のものではないと感じます。
西洋思想の日本語訳でしょうか?
奴隷と云えば、この問題も大きな意味がありそうです。
ケンタッキー残酷物語
http://www.tanteifile.com/diary/index7.html
仰る論に少々問題があるとすれば、日本には古くから家と云う纏まりを重んじる傾向があります。今でも、家を守るのは父であり母であるはずです。
子供にとって、親の言葉は意味不明であり、理不尽であると感じる状況も多々あるはずです。それは、やがて成長した時に諒解したり、もしくは知らぬまま恨みを持ち続けるという事もある事でしょう。
親にとって、子は決して奴隷ではないのですが、子にとっては不本意な服従を強制されるようです。しかし、多くの場合親は子の為、家族の為を思うが故に苦言を呈し、また服従するように求めるのしょう。親が余程、子に対する関心と注意を持って子育てに臨んでいれば、そのような場合にも子の不満の有様に対して、適切な説得を実行できる場合もありますが、多くは子にとって不明瞭な納得を強いられる事になるはずです。
親子でもこのような有様ですので、社会の中でリーダーの位置に立てば、その下に準ずる人々がリーダーの行動に対して不満を感じる事は多々あるはずです。しかし、適切なリーダーの下にいれば、誤解もやがて諒解するのだと思います。
人が人に従うのは、そうある事が事を荒立てずにうまくいくという事を、それ迄の経緯から知るが故に行う選択なのだと思います。もし、自分がそこに異議を唱えれば、自分自身が納得する事ではあっても、周りの流れを止めてしまったという事実は後に残り、場合によっては遺恨を残す事になるはずです。
さて、意地悪な発言かもしれませんが、価値観の多様性を論じるheartさんであれば、奴隷性から抜け出せない人々の価値観も受け入れてしかるべきなのではないでしょうか?
私は、日頃heartさんの発言に多く共感しております。
そして、ただやみくもに長いものに巻かれるという国民性は確かに日本人にあると思っております。多くの人々がそこから抜け出さなくてはならないと私も考えますが、場合によっては不本意な服従も必要であり、そこには理由があるはずだと私は思うのです。
ひとつの考え方の提示として、受け止めていただけばありがたく存じます。
失礼いたしました。