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(回答先: Re:それから、これに反論してください。できないのなら思考停止しているのは貴方の方だと判断させていただきます。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 1 月 22 日 22:11:33)
>集団生活の中では、規律を大切にしない価値観は不適切だろうと思いますよ。
>そのような価値観のある人は集団から離れるべきでしょう。
>仮に学校選択性になった時、卒業式も規律正しくできない学校には「自分の子供」を預ける気にはならないという人は相当数いるだろうと思います。
>勤務時間中(労働対価報酬)の職務規律も保てない「学校」では、キチンとした躾ができるはずがないというイメージは大きいでしょう。
>仮に「個人の良心の自由」が「集団の規律」より上位の位置を占めるとして、いきなり「集団の規律など糞くらえ」という事にはならないでしょう。
>これは、仮に「集団の規律の重要度が下位にあるとしても、可能であるなら、集団の規律を無理に破壊することなく、是正策を考える」という事でしょう。
>多分ですか、君が代不起立を結果的に行われた学校の「校長・教頭・学年主任などの責任のある立場の人は、上層部から厳重注意を受けるでしょう。」
場合によっては「ボーナスカット」などの実損まで受ける可能性もあります。
>「そのような事は理不尽で狂っている」とKも思いますが、部下教員の「管理責任を問われるのが管理職、役職」なのです。
>教師という職業をしていて、先輩教師、上司の教師などには、様々な部分でお世話になっているのだろうと思います。
>「俺は誰の世話にもなっていない」という人もいるでしょうが、それは「気が付いていないだけ」だろうとも思います。
>式典というケジメの行事を「ぶち壊れても良い」と協力しないと言う行動は「様々な犠牲を払っても行うだけの価値がある」とは思えません。
>ここは、強制の種類によります。
>例えば「命令されれば人を殺せるか?」と言われれば、多くの人が「殺せない」でしょう。しかし「後ろから、殺せない時は、殺す」と銃を向けていられたらという場面もあるでしょう。
現在の国家権力が何を目論んでいるかをしっかりと考察すべきです。
>基本的には「強制」は行き過ぎでしょう。しかし、君が代不起立はKが子供の時には既にあった運動です。当時は純粋に「天皇制度に反対」というイデオロギーの運動だったとKは認識しています。一時は「君が代」は「仰げば尊し」に差し替えられていた学校も多かったと記憶しています。
私の卒業した学校は「仰げば尊し」ですね。
>ですから、ワヤクチャさんの意見とheartさんの意見は違うだろうと思います。
>ワヤクチャさんの意見は「天皇制度」を意識したものでしょうし
>heartさんの意見は「個人の自由」に振れているものでしょう。
>「日本に共産主義を入れる」というのは「赤の運動」として、まず、受け入れられない種類の運動でしょう。「赤色分子」というのは「過激派」であり「秩序と日本文化を破壊するものだ」というイメージを団塊の世代以前には色濃くあります。
>中核、核マル、赤軍、連合赤軍といった過激派は「市民の命より革命を重要としました」
>これでは、市民の支持は得られなくて当然でしょう。
>その運動の延長上にある「君が代不起立」は反政府運動だろうと思います。
>少なくとも、多くの人は「そのような認識を持っている」だろうと思います。
では言います。違います。国家権力が兵士を育てるための教育にしない為の運動なのです。
>たかが歌、されど歌、仮に歌が「君が代」でなくなれば「不起立」という運動は事実上消滅するだろうとKは思います。
>ただし、右派からは「抗議がある」だろうと思います。
あるでしょうね。
>どこかで「協力できる事は協力しよう」という妥協点が必要でしょう。
>この様に多分に個人の主観による事柄を決着させるには、最終的には「多数決によって決定する」のが妥当だろうと思います。
>君が代不起立は多数派形成に有効か?
>Kの主観ですが、これほど長期に行われていながら、ほとんど、多数派形成には成功していないと思われるから、有効度は低いと思われます。
多数決じゃ小渕と一緒でしょうが。
>少なくとも、石原都知事を落選させるくらいの広がりが必要ですが、少なくとも「君が代不起立だけ」では駄目でしょう。上映会とかメディア戦略に切り替えていくべきでしょう。もう十分に「実力行使」は行ったのですから、後は「その歴史を訴えて、気持ちを知ってもらう」人を増やし、賛同者を多くするべきだろうと考えます。
>実力行使(君が代不起立という手法)は、話し合いの拒否という態度表明だろうと思っています。
>まあ、もうどうでも良いや、処分されたいのなら好きに処分されてくださいという気持ちも少しあります。
ゲシュタボに合わせる気持ちが少しあると?
>一つだけ書いておきますが、本当にありがたいのは「嫌われることを覚悟して、注意してくれる人」です。「迎合して、後押しするような人に限って、いざとなったら知らぬ顔しています。」
>君が代不起立に賛同の意を示すのは「簡単」です。
>しかし、その結果として「処分されたら、本当の意味で困るのは、ご本人と家族」でしょう。
>処分する現体制はおかしいのかもしれませんが、そこは、それこそ自民党が大敗でもしなければ変わらないでしょう。自民党が負けても民主党では変わらないかもしれません。
>今、必要なのは「国の強制は規制すべきだ」という考え方を持つ人を多くする事であり、式典を妨害するかのような実力行使ではないと思います。
私もKさんの意見に賛成します。
一体、行動では強制にしたがっておいて、「強制は間違っている」と言ってもなかなか信用されませんね。
ただでも教師への精神的圧迫が凄まじいのに、積極的に不服従運動を勧める事はできない。逆に、弾圧者に合わせて言行一致を行なっている人間になんで文句が言えようか?教師は生徒に嘘を教える訳にはいかない。裏表のある人間になってはならないと言いながら、自分がそれをやってみせてはいけないと思う。
卒業式なんぞで日本が良くなるなどとは考えない。そこまで社会の歯車・制度は甘くない。
しかし、処分されてはいけないのだ。処分者が出れば経済的に運動と運動員が困窮する。そこで、教師は生徒に「日の丸・君が代」の問題点を指摘し、立たなくて処分される人もいた事を挙げた上で、自分自身がどう考えるか考察を深めていって下さいと言って式典では取り合えず従うのはどうか。「市民には国家への不服従の立場がある事。秩序や規律が無条件に正しいのではなく、市民の生命を危険に晒す規律や秩序は廃絶する事が可能である」という立場の宣伝を常日頃行い、かつ式典では従う。これが良いのではないでしょうか。
ファッショ支配の中では自分の生活・生命を守る為には奴隷の言葉を使用する必要もあると思います。現在の学校支配のやり方がファッショである事は訴えていかねばなりません。しかし、すでに処分された仲間の教師を救援する為には自分が処分される訳にもいかないと思います。市民の生命は秩序や規律よりも重視せねばならない。公務員は文部省通達や教育委員、校長からの命令に絶対服従する以上に、一人の市民として物事を考えるべきだがファシストに対しては処分されず、賢く立ち回りましょう。
卒業式だけでなく、日常でも監視が強まっています。思想統制が凄まじくなっています。過激な行動は慎み、市民の賛同者を増やしましょう。