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(回答先: 不起立・不斉唱という抵抗が「過激」というその見方はどこから出てくるのですか? 投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 23 日 01:00:45)
式典を妨害する為に過激な行動をするのはやめようと言ってますが、今の教師の活動のほとんどが過激だとは思いません。
不起立・不斉唱自体は過激でもなんでもなく、現在の教師の活動は憲法下で認められるべき活動です。しかし、処分は避けるようにしたい。
公務員は憲法と良心にまず従う必要がある。特定の集団に従う事は出来ない。教育委員や校長、文部省の命令を絶対化してはなりません。
公務員はまず市民に奉仕する為に職務をするべきであり、上司に奉仕する為であってはならない。公務員にもストライキ権・団体交渉権は認められねばなりません。
不起立・不斉唱自体が過激ではない。しかし、個別撃破されないようにせねばなりません。出来る限り権力に弾圧の機会を与えてないように行動せねばなりません。これまで処分された教師はもちろん救済すべきでしょう。しかし、どうやって救済するのか。
もし、不起立・不斉唱をするなら、個別撃破されないように全員でしなければなりません。それも全国の学校でやるのです。行動の統一が保証されねばなりません。不起立・不斉唱を統一した指令の下で一致してやる。その長い準備が必要です。
考察者Kさんの意見に「賛成」と言った時、私の本心が「賛成する事」、そこにある訳ではないのです。これは最後の最後にはひっくり返す必要があるのです。
新左翼はある程度の所まで日本の運動高揚に貢献しました。ところが、最後の所で右派エスエルのように逆に反革命的にひっくり返り、宮崎のような人物と結託する部分が出てきました。ソ連や中国、北朝鮮、ルーマニア、ユーゴスラビア等多くの共産圏でも逆の反革命的ひっくり返りが起きました。極左が極右にひっくり返る。そういう事もあり得るのです。
その逆をするにはある程度の慎重さは必要だと思います。毛沢東や金正日のように個人が目立つのではなく、広範囲に陣地を作らねばなりません。