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(回答先: <省エネ無用−−−養老孟司07年逆説の暴論>「早く石油を使い切れ!!」(AERA(’07.1.1−8)) 投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 1 月 10 日 16:13:43)
以下は、上に投稿した養老教授のAERAの記事に対する、“G研”とやらによる反論である。
私まさちゃんの意見ではないので、念のため。
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AERA(’07.1.1−8)
<省エネ無用−−−養老孟司07年逆説の暴論>
「早く石油を使い切れ!!」
(その1)http://www.gns.ne.jp/eng/g-ken/igiari/obj_258.htm
「省エネ無用−−−養老孟司07年逆説の暴論」というタイトルが付いているとはいえ、あまりにも酷い「暴論」である。
石油を速く使い切れば、石油に替わるエネルギー源に研究開発に拍車がかかる、というならまだしも、石油を主要エネルギー源として使っていなかった時代に戻れて、今日の現代病まで根絶できて何もかもうまくいくということを、養老先生が本当に信じていられるなら、東大名誉教授としての知性が疑われるというものだろう。
「石油を使い切り、この地球から石油がなくなる日、それこそが人類にとって幸せな世界が来る日なんです。石油がなくなれば、現在地球上で起きている社会問題のほとんどが解決するんですよ」
「石油は不要」と主張されるが、「あらゆるエネルギーも不要」とはおっしゃっていないところに、養老先生独特の「マッチポンプ式論法」がある。また、石油が枯渇してしまった暁には「現在地球上で起きている 社会問題のほとんどが解決する」とはどういうことか、詳しく見てみよう。
「まず第一に、コンクリートが不足してでっかいビルやマンションを造れなくなる。そうなると、人々は分散して住むしかない」
ビルやマンションが造れなくなり、昔のような「ウサギ小屋」より酷い掘っ建て小屋にしか住めない貧しい暮らしに戻れとおっしゃるのだろうか。でっかいビルが建つ都会に集中してこそ効率的な経済活動が可能になり、大きな戦争がなくなって人口の増大する社会を構成する人々の暮らしを支えられるようになったのではないのか。
「山の木を切り崩したり土砂をむやみに掘り出すエネルギーもなくなるわけだから、特に日本列島のような地域は、自然災害に対して強くなる」
無秩序な山林の開発が新たな自然災害を引き起こしているケースもあるが、エネルギーを確保できたことによって、防災対策も進んできており、自然災害による被害も格段に少なくなっている。昔のように放置すれば、災害による被害は昔よりもっと酷くなることは明らかである。
(その2)http://www.gns.ne.jp/eng/g-ken/igiari/obj_259.htm
「二つ目はこの延長上ですが、分散化社会にスムーズに移行します。石油がなくなれば輸送手段が限られるのだから、ローカルを中心にした社会にならざるを得ません」
分散化社会になり、しかも輸送手段が限られるとなると、それぞれの分散社会は自給自足を強いられることになる。となると、富める地区と貧しい地区というように格差社会が広がるといった原始時代に舞い戻ることになり、争いが頻発するようになって富める地区が貧しい地区を吸収合併して勢力を拡大することになる。これはまさしく歴史の繰り返しである。ことはシンプルに考えて解決するものではない。
歴史から学ぶ点は多いが、懐古主義が高じた主張は笑止千万というより他ない。
「いまは薪(まき)割りも水汲(く)みも、労働という労働は全部石油が肩代わりしてくれている。それがなくなれば、食べるために当然人が体を使わざるを得なくなるわけです。そうすれば生活習慣病なんていうのは、まず、なくなります。そうなれば、医師たちはがんなど「まともな病気」の研究・治療にもっと打ち込めるようになる。医療費の抑制にもつながります」
ガスや電気、水道が使えないとなると、山へ行って木を切り、井戸や川から水を汲んでこなければならない。人口が少ない時代ならそう山野や地下水を荒廃させることもないだろうが、今日のように大所帯の国では、たちまち国土は荒廃するだろう。そしてここでも弱肉強食の原理が働き、格差社会は歴史を遡って悪化するだろう。また、上水道が使えないとなると、不衛生この上なく、日本人の平均寿命は7,80代から50代に逆戻りするだろう。
今日、豊かになった我々日本人の暮らしぶりは、江戸時代の将軍様の暮らしとほぼ同じ、という研究報告書が出回ったように記憶しているが、将軍様は何万人の家来によって支えられて暮らしてきたが、家来のいない我々はエネルギーによって支えられて将軍様とほぼ同じ暮らしができているというのだ。
また、メタボリックシンドロームのような現代病は、「まともな病気」でなく、「ふざけた病気」の治療に多くの時間をさかなければならない医療関係者のがんのような重要な研究を妨げている、という主張も、少なくとも正論ではない。第一、病気に「まともな病気」と「まともでない病気」に分類すること自体、人間の生命にランク付けをしていることになる。養老先生はそのことにお気づきでないようだ。
「子どもはあまり便利な環境に置かないで体を使わせるのが一番いい。いまの子どもに悩み事が増えてしまったのは、日常の中で必然性のある行動が減った分、何をしていいかわからなくなってしまったからです。昔は火をおこしてはじめて飯がたける、風呂に入れるっていう必然性を理解していたからこそ、薪を割るし、火吹き竹でたらふく空気を送りこんでやったわけです。必然でやっていると、ささいなことで悩んだり、ニートになったりする暇はない」
「子どもはあまり便利な環境に置かないで体を使わせるのが一番いい」というのは同意できる。しかし、「いまの子どもに悩み事が増えてしまった」というのは同意できない。昔の子供よりいまの子供の方が悩みが多い、とはいえないだろう。悩みの種類が違ってきてるのである。また、暇があるからニートになっているのではない。豊かな時代に、少子化で甘やかされて育ってきたから、ニートになっているだけの話だ。
戦後の社会システム、学校教育、家庭環境などが複合的に作用して、人生の目標、夢、勤労意欲などが欠如している子供たちが増えていることだけは確かだ。こういった問題の根源に便利で豊富なエネルギーがまったく関わっていないとはいわないが、複雑な子供の問題が、単に石油が枯渇すれば解決するとは絶対にいえない。
「人間は石油を使って機械をより便利にするために躍起になってきたけれど、機械を丈夫にすると人問が壊れる。そういう典型的な構造だと思いますね」
人間が知恵を働かせてより便利な機械を作り、その機械を使うことによって豊かになり、余暇ができるとより便利な機械を作る努力をする。そうして他人(国)のものを横取りしなくとも、平和な社会を保ちつつ豊かな社会を形成していく、というのが賢明な人間の知恵ではないだろうか。「機械を丈夫にすると人問が壊れる」というのは、あまりにも人間の知恵を信じなさ過ぎるのじゃないだろうか。
「石油がなくなれば、地域紛争もなくなります。現代史を紐(ひも)解くと、ほとんどの戦争が、とどのつまりは石油の利権の争奪戦なんですね。この前のイラク戦争だって結局のところ、そうでしょう」
今日の地球上に起こっている地域紛争のほとんどは、民族紛争、宗教の対立である。石油の利権争いも皆無とは言わないが、民族紛争と宗教対立に比べれば、とるに足らない程度であろう。イラク戦争は、フセインという独裁者による人権を無視した犯罪者を取り締まるため、いわば国際警察の役割で突入したのである。
国内問題を諸外国が介入すべきではない、という意見もあるが、独裁者の悪政を正す革命をその国民に期待することはもはや不可能に近い。今日の独裁者は、近代兵器をも独占しているのであるから、一般国民が鍬や鎌、はたまた竹槍といった武器で革命を成就することは不可能になっている。
そのような不幸な人々を独裁者から救うには、やはり国際警察のような諸外国の軍隊よる介入が不可欠だろう。国際犯罪者を取り締まるために「石油を使い切る」という主張はまさしく暴論の他ないといわざるを得ない。
「近代文明の効率は秩序で維持されている。飛行機がちゃんと飛び、電車が時間通り走り、官僚制が機能する。それを支えているのが石油です。この秩序は都会の秩序。そして、この都会の秩序は、地球温暖化の犠牲の上にある。中国が全部都市になったら地球は滅びるでしょう」
このパラグラフはある程度同感できるが、先の主張があまりにも暴論すぎたため、最後の正論もすっ飛んでしまうという論旨の典型例である。
この主張を「逆説の暴論」というなら、エイプリルフールの特集号で取り上げるなら、「うまくないジョーク」とでも聞き流すこともできようが、新年号のしかもいま売れっ子東大教授の主張ともなれば、あながち「逆説の暴論」ではなく養老流「シャイな本音」ではないか、と思えてくる。いずれにせよ、お堅い「AERA」の記事には不適切ではなかったのか。
「G研」代表