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(回答先: マルクス(主義)経済学の効用 投稿者 凡人 日時 2006 年 11 月 13 日 22:01:00)
『資本論』と社会主義 宇野弘蔵著 こぶし文庫 54ページより
『資本論』のような理論的研究で、個々の個人の行動がどういう役割を演じているかは、いうまでもありません。この点は、逆にいえば、資本主義の一般的運動法則を理解したからといって、僕たちがいかなる個人的行動にもこれを利用し得ないということからも明らかと思います。先の手紙でも述べましたように、経済学の理論はそういう性質のものではないのです。これは経済学を専門としていられる君には,いうまでもないことでしょう。僕たちが素人考えでそう思う自然科学知識と全く異なったものなのです。経済学に通じているからといって、何か役に立つ発明でもしたり、機械の故障を直したりするように、有利な株券の投資をするとか、会社の利益になる仕事をするとかいうわけにはゆかないのです。
しかし国家の政策の問題となると、一般にはそう簡単に理解されていないと思います。経済学は、その法則性によって、例えば経済的危機を脱する方策を明らかにするのが当然と考えられています。事実、多くの経済学者が最近もなお毎月のように、そういう種類の方策を論じています。そういう論策にはインフレーションや経済危機を、地震や天候のような自然現象のように考えて、これに対する対策を論ずるという傾向が,多かれ少なかれあるのではないでしょうか。資本主義が一定の歴史的過程ではなく、永久的なものででもあればともかく、一定の時期に歴史的に発生したものである限り、そのあらゆる時代に共通する一般理論からその危機を脱しうる方策を与えられると考えることは、何といっても矛盾した考え方といわざるを得ないでしょう。資本主義理論をともかくも科学的に体系づけて来た古典経済学は、御承知のように、寧ろ政策を否定する立場をとっていました。それは資本主義の成長期にあってその変革が問題とならなかった以上当然のことだったと思うのです。それに反して既にその矛盾が問題になっている、一定の歴史的な過程において、その社会関係を何とかして維持しようとする方策を理論に求めることは、理論そのものを凡庸化す以外には途のないことなのです。理論の根拠はそんな浅いものではありません。いわばいつでも資本家のための理論であるというわけにはゆかないのです。