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ナチスがユダヤ人絶滅を意図した事は明らかでしょう。
その悲劇をくぐり抜けてユダヤ人はイスラエルを建国した。
そして、世界に対する不信感からパレスチナ人を虐殺してでもイスラエルを拡大しようとした。
つまり、ユダヤ人に対する迫害と迫害を受けたユダヤ人の反撃の歴史なのであり、民族差別が問題の中心なのです。
ひどい目にあった民族が自らの悲劇を誇張したとしてもそれは人情から言ってもやむを得ない面もあると思います。
だからユダヤ人で無いものがその誇張を批判するのは当のユダヤ人にとっては腹立たしい事でしょう。
いかなる民族も迫害を受けない世界を作るという決意と行動が必要なのであって、迫害を受けた民族の歴史歪曲を批判する事は二義的な問題です。
軍事的に自民族の居場所を作り出そうという行為が間違いなのです。
ナチスもシオニストもその点で全く同じ間違いをしました。
この事の確認さえあればいいのであって、ナチスがユダヤ資本の支援を受けたかどうかなども二義的な問題です。
ユダヤ人が収容所で何人死んだかどのような殺され方をしたのかについても二義的な問題です。
このようなセンセーショナリズムのみに目を奪われて、不毛な「あった無かった」の論争をする事自体我々の視線をあらぬ方に向けてしまう事です。
歴史の真実も大事でしょう。
しかし、それ以上に現状の問題点と何をなすべきかが大事です。
米軍の撤退、イスラエルとパレスナの和平、北朝鮮との話合いといった事が大事であり
いたずらに不安を煽るだけの陰謀論(仮にそれが真実であったとしても)ばかり述べる事は必ずしもいい結果を生み出さないと思います。
敵が強大であるという見方がはびこればそれはそれで敗北主義を生み出します。