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ジェンダーフリーの元祖はやっぱりマルクスとエンゲルス 男女共同参画基本法や人権擁護法案の真の狙いは?
http://www.asyura2.com/0502/social1/msg/125.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 4 月 09 日 15:27:21: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu92.htm
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ジェンダーフリーの元祖はやっぱりマルクスとエンゲルス
男女共同参画基本法や人権擁護法案の真の狙いは?

2005年4月9日 土曜日

◆ジェンダーフリーの元祖はやっぱりマルクスとエンゲルス 石井公一郎
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0402/ronbun3-1.html

エンゲルスの家族・婚姻論
 わが国のジェンダーフリー運動と根っこのところで深く関わっているエンゲルスの著書『家族・私有財産・国家の起源』は、ロンドンにおいて一八八四年に出版された。この著書は、マルクスの遺稿「古代社会ノート」を種本にしており、更にさかのぼると、アメリカの民俗学者ルイス・H・モーガンの研究資料に負うところが大きい。

 エンゲルスは同著のなかで、人類の歩みを野蛮・未開・文明の三つに分け、それぞれが下段階から中段階を経て上段階へ進むものとしている。野蛮時代の下段階は人類の揺籃期。中段階で火を使い、旧石器と呼ばれる用具を手にする。野蛮の上段階では、弓矢を発明し、獣を食べ、樹皮繊維の被服を着る。

 未開時代の下段階では、土器の製造、動物の飼育、穀物の栽培。中段階では、潅漑による食用植物の栽培、煉瓦による建造物。上段階では鉄鉱の溶解技術の発明、鉄製スキ・クワによる農業。文明時代は表音文字の発明で幕があくという展開である。

 続いてエンゲルスの議論の焦点は、発展段階に応じた婚姻形態へと移る。野蛮時代においては集団婚−血族を中心にした集団のなかの雑婚。未開時代においては、対偶婚−夫は多くの妻のなかから一人を重要な妻とし、妻も多くの夫のなかから一人を重要な夫とするというゆるやかな結合。次いで文明時代に入ると家父長の権力が強くなり一夫一婦制の形をとるようになる。

 さて、この一夫一婦制であるが、エンゲルスは決してこれを好ましいものと思っていない。アテネの文明社会から十九世紀のイギリス社会に至るまでの一夫一婦制は、妾をもつことや売春婦と戯れることを当たり前とする男性本位の勝手な仕組みだというのである。

 周知の通り、マルクス、エンゲルスは、私有財産制度を人類最大の敵とみなしているので、そのもとで行われる男女間の分業は、男性を支配階級とし女性を被支配階級とする忌まわしい体制づくりに他ならない。

 それではブルジョアジーを倒しプロレタリアートの天下が実現したらどうなるだろうか。共産主義革命が身近にせまっていない時点におけるエンゲルスの予言は次のごとくである。

「生産手段が共同所有に移るとともに、個別家族は社会の経済単位であることをやめる。私的家政は社会的産業に転化する。子供たちの扶養と教育は公務となる。嫡子であろうと庶子であろうと一様に、すべての子供たちの面倒を社会がみる。それによって今日、乙女が思いわずらうことなく恋人に身を委せるのを防いでいるもっとも重要な社会的(道徳的ならびに経済的)要因をなしている『結果』に対する心配がなくなる」(前掲書、土屋保男訳、新日本出版社)

 私有財産制度がなくなり、生産手段が共有化されれば、男女間の愛情は卑しい打算から離れて限りなく純化されていくという楽観論は、余りにも非現実的で論外だが、ここでわれわれが注目しなければならないのは、子供の養育を含む家事の大部分を家庭から切り離し、「社会的産業」へ組みこむべきだと主張している箇所である。


◆ジェンダーフリー考 その9・・憑依された国家 4月7日 娘通信
http://musume80.exblog.jp/1825823/

<政治家の責務について>

教育界と同じことが、政界にも言えます。

私が、この「ジェンダーフリー考」シリーズの
構成を考えるにあたってイメージしたことは、
一本の大河の上流が汚染され、
その汚れが下流へ、支流へと広がっていく様子です。

源が汚され、濁流が川下にまで広がり、
魚達が腹を出してプカプカと浮き上がる。
そのイメージを基に各回の構成を考えました。

◇国法へのジェンフリの浸透・・男女共同参画基本法の制定
       ↓     
◇政界・官界が汚染・・内閣府内に男女共同参画会議設置。
       ↓
◇地方自治体に汚染が波及・・各自治体で男女共同参画条例が
              ラッシュのように制定されていく。
       ↓
◇教育現場への浸透・・ジェンダーフリーに基づいた教育
           過激な性教育


この浸透の過程を見てて思うのは
敵手たるジェンダーフリー論者達は
非常に狡猾で戦略的だということです。
まず、大河の源から押さえたわけです。

その源の汚染の端緒を作ったのは、
1999年の男女共同参画基本法の制定です。
ここから全ては始まりました。

今、人権擁護法案に対して反対論が巻き起こり
政界でも一部の議員達が激しく抵抗しています。
彼らの胸中にあるものは、
かつて男女共同参画基本法を通してしまった、
自責の念だと思います。
「あの轍は二度と踏みたくない」
それが彼らを駆り立てている思いでしょう。

ここで私が彼ら政治家諸氏に言いたいのは、
己の失態のツケは己で始末をつけろ、ということです。
かつて悪法を易々と通し、
国家を狂思想に憑依されてしまった責任は
当時国会議員だった諸氏が負うべきでしょう。
己の過失は己で始末すべし。

もちろん私は、なんでもかんでも政治家が悪いと、
国政の全ての諸悪を彼らの責任に帰すような
そういう幼稚な発想は嫌いです。
政治家のレベルはイコール国民のレベルであり、
それは国家の民度の反映でもあります。

しかし、ジェンダーフリーが広まる端緒を見逃し、
みすみす川の源を汚されてしまった責任は大きいでしょう。
悪法を悪法と見抜けずに挙手賛成をしてしまった諸氏は、
己の見識の浅はかさを痛感してほしいと思います。

政治家にとって「無知」とは罪悪です。
一般人にとって「無知」とは
単なる短所の一つに過ぎませんが、
政治家にとって無知は罪です。
無知なる政治家は存在自体が害悪です。

憲法では国民の被選挙権を認めていますが、
私は政治家になるということを「権利」と捉えてほしくないのです。
自らの一つ一つの判断や立案・決定・選択が
数百万人から数千万人、あるいは数億人の幸不幸を左右し、
その時々刻々での判断ミスが日本という大河の源を汚し、
下流では死屍累々たる惨状が現出する。
この状況を見つめた時に、
「立候補は国民の権利」などというような
安直な意識で政治家になってほしくありません。

このジェンダーフリーという悪流に対し、
抵抗している人たちもいます。
良心あふれる一部教師たち、勇敢な少壮地方政治家、
国民世論に訴え続けている著述家・学者たち。
しかし、彼らの勇気ある抵抗も
この濁流の流れを押し留めることは不可能でした。

政治家諸氏よ。
貴方たちは日本という大河の源流の番人です。
源流から流れ出ずる清流が
川下の一億数千万の喉を潤します。
それはやがて大海に至り諸国の人々をも潤します。

かつて自らの過失により、この源を汚してしまったのなら、
貴方らは己の良心にかけて清き流れを取り戻すべきです。
汚れの根源を取り除き、
川下の人々を苦悶から解き放つべきです。

端的に言うならば、
男女共同参画法の廃止、
内閣府内の男女共同参画会議の廃止、
国連の「女子差別撤廃条約」からの脱退、
そして国家の名において
「家庭の尊重」「家族の尊重」「伝統的価値観の尊重」
国家の基は健全な家族・家庭にあることを明確に宣言すること。

これをやっていただきたい。
日本をジェンダーフリーという悪霊の憑依から
解き放っていただきたい。


(私のコメント)
最近の国会では男女共同参画法や人権擁護法案など、聞こえは良いが内容がよくわからない法案が国会で成立してしまうようだ。お題目だけ聞けば国会議員の先生方も反対のしようがない文言なのですが、その法案がいったん成立してしまうと、各自治体の委員会でとんでもない条例に変質して実施される。

男女共同参画法は教育現場では、小学校の低学年から過激な性教育を行い、小泉総理大臣も国会審議で始めて聞いてびっくりしたりしている。日本ではジェンダーフリー教育と呼んでいるものらしいが、子供の親もわからないように内密で教えられている。なぜそんなことまでして性教育するのか分かりませんでしたが、目的はマルクス・エンゲルス思想の普及にあるようだ。

つまりは形を変えた共産主義運動が教育現場でジェンダーフリー教育として行われているのだ。教育といえば「ゆとり教育」も問題になりましたが、教科書問題といい政治家達は何をやっているのだろうと思うのですが、教育現場をよく知らない国会議員たちは文部官僚に政策を丸投げして今日のようになってしまった。

男女共同参画法は共産主義者からジェンダーフリー主義に名を変えて活動する場を与えている。人権擁護法案も部落開放同盟や朝鮮総連などの活動家が後ろ盾となる法案として成立を目論んでいることと同じであり、具体的な内容がわからないように基本法を作り、その基本法を基づいて地方の委員会が条例化しますが、地方によってはとんでもない条例が作られて施行されてしまう。

具体的には先日再選された千葉県の堂本知事がジェンダーフリーの推進者ですが、選挙などでは表に出さなかった。人権擁護法案も恐らく同じような形で地方自治体レベルで人権擁護派知事のところから条例が作られて”人民解放区”が日本各地に作られてゆくのだろう。

◆ジェンダーフリー考 その1・・堂本県政の狂思想 娘通信
http://musume80.exblog.jp/1726276/

ジェンダーフリーの小難しい解説は後日じっくりと書くとして、
堂本知事のジェンダーフリー推進政策を解剖してみましょう。


平成14年9月。
堂本知事は男女参画社会を目指すとして
「千葉県男女共同参画の促進に関する条例案」を
定例県議会に上程した。

この条例案はジェンダーフリーの推進政策そのもの。
そのあまりの内容の過激さに
議会多数派の自民党が継続審議を主張、
事実上の廃案に追い込んだ。

傍聴席の堂本シンパのフェミニスト達が
罵声を浴びせる中で条例案は否欠された。
千葉県議会で県当局が提出した条例案が
継続審議になったのは史上初めてのことだった。

結局、継続審議から廃案となったこの条例案。
これを見ると堂本知事の過激思想がよく分かる。

条例案は全31条、約1万字に及ぶ長大なもの。
主な内容は以下。

◇第3条 基本理念

 社会制度や社会慣行が男女平等を阻害しており、
 それを改めるべきと書いている。

◇第5条 県民の役割
 
 千葉県民を「男女共同参画の促進に努める」存在と規定。
 思想統制そのものの条項。
 促進に努めざるは非県民か?

◇第8条 特定非営利活動法人(NPO)への補助金供与

 堂本知事は
 自分を選挙で応援したフェミニズム団体に
 「特定非営利活動法人」(NPO)の認証を出して、
 補助金をばらまいた。
 選挙資金の還流システムでもある。
 ちなみに千葉県の平成15年度のNPO予算は1億8千万円。


(私のコメント)
このように国で基本法が作られて自治体で条例が作られ、NPOなどに予算が配られる。堂本知事のもとには活動家がボランティアとして集まり、当選の暁には見返りに活動家のNPOに千葉県の予算が配られる。つまり名を変えた共産主義者が看板をすげ替えて活動するために男女共同基本参画法や人権擁護法案が作られているのだ。


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