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(回答先: 「見えるもの、触れるもの」が実は偽モノ 投稿者 膝枕 日時 2005 年 7 月 22 日 10:49:05)
デラシネさんおはつ(?)です、膝枕さんこんちは。Haruさん横からどおもです。。。
>ただただ「思いやる」こと、それが本物の愛
この「思いやる」って難しいですよねー。「思いやる」ってのは常に相手にとってプラスになるとは限らないから、こっちが思いやっていても結果はありがた迷惑だったり、トンチンカンになっちゃっているケースってよくありますよねえ。
それを分からずに愛だ、愛だと、頑張っちゃってもど〜なんだろうって・・・。
たとえ相手の要望に適合したケースであっても、それが自分にとって苦痛に思うことだったとしたら、相手への「思いやり」を取るか、自分への「思いやり」を取るか、う〜ん、愛ならどっちなんだろうって。
また、あっちを立てるとこっちが立たずといったように、相手が複数いるときは愛はどっちなんだろうって。
で、「あの人が愛だ」と指差すと、愛以外の人ができることになり、紛争の原因にもなっちゃう。
結局、どんな愛でも、愛を示そうとすると、愛以外のものが生まれてくるのではないだろうかって考えちゃいます。
よくよく考えてみると、何かを得ようと「行動する」こと全ては、愛以外のことを生み出すのではないだろうか。
生きるためには、例えば食べるために行動しなければならない。食べるというのは自分の肉体の欲求に答えてあげることで、肉体の欲求を満たすためには、何かを犠牲にしなければいけない。
では愛なら何を食べる?
結局何も食べることもできないかもって(笑)