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(回答先: 否定をするためには 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 7 月 27 日 11:33:59)
>ダイヤとガラス玉の区別もつかないのが我々です。
とてもうまい事を仰っていると思いました。
はなはだ、恐縮ですが、、、
仰る通り、私は、イメージや感と言ったものが私の中で先行して生きている
人間なようです。
先述のアミ、小さな宇宙人に、愛が、劣っている人間に
エゴを抱えた人間、、というような記述がありました。
なるほど、わかりやすいです。
私は、とてもエゴイスティックな人間なのです。
気に入らない事があれば、苛つきますし、傲慢な行いもします。
例えば、車の運転で、自分の予定があれば、強引に運転しますし、
前をトロトロ走られると、とてもイライラします。
本当は、そんな時にこそ、ひと呼吸しまして、
心のゆとりを作ればいいのに、、と、後から思いますが、、、
人と人の連関は、とても不思議なものです。
そんな私の行動すら、許容していただいている方もいらっしゃいますし、
そんな私だからこそ、安心すると言っていただける事もあるのです。
エゴがなくなったら、人間はつまりませんよね、、
それでも、まだ、、愛が、、
私の問いかける世界が、消える事はありません。
愛などと、、罵倒しながらも、どこか、、
私は、愛というものに縋っているのかもしれません。
無我夢中に、なっているとき、
熱くなって、周りを見失っているとき、、
ふと、立ち止まるきっかけを与えてくれる言葉、、
それが、愛という言葉です。
なんなのかは、わからないはずなのに、、
私にブレーキをかけるのです。
とりとめもなくて、すいません。