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(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その1 縦三段と緯三段の仕組み/宇宙万有に雛形が見られる(大本教・民間信仰・民俗 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:29:48)
*雛形経綸の理論 -その2*
*不思議の国/霊之本津国・日本*
話しを日本に戻しますと、ブルガリア政府公認で、現在世界一の超能力者と言われるベラ・コチェフスカ女史が来日し、文芸春秋誌のインタビューに答え「日本は地球のヘソの様なものであり、宇宙からのエネルギーを一番ストレートに受ける聖地」であると発言したそうです。ちなみに、伊勢の聖地は世界中の人が参拝するべき所であるとして、古代にもキリスト・モーゼ・マホメット等が、日本に訪れた事があるのだそうです。
またベラ女史が伊勢神宮の外宮に参拝した折、外宮正殿の後方の多賀宮の神前まで引かれるように進み、額づいて祈り「こんな聖地は無い。ここに世界中の人が祈りに来なければならない」と語ったそうです。(文芸春秋平成五年三月号)
これは、かつて王仁三郎氏が、「日本は世界の胎胞である」として、日本の地形と世界の地形の相似系を説明する事がありましたが、余程日本と言う国家は、何かしらの秘密が在るような気がします。
又、エネルギー云々とか、そういった理屈は分かりませんが、大本で起きた事が、日本→世界へと相似系を以って波及した事(詳しくは後程)を考え合わせると、又不思議な気がしますが、更に日本で見た場合は、大本乃至皇道大本の在った「綾部」という聖地も、又不思議な場所であったようです。
それは、綾部町の存在する京都府何鹿郡は、戸数、面積、歳出、歳入が、日本全体の千分の一に相当していて、国の歳入が増すと、千分の一の割合で、何鹿郡の歳入も増し、綾部町はまた、日本の万分の一に相当していて、何時でもそれが同じ比率を持っていたそうです。全く偶然と言うには、少し出来すぎの感があります。
*スパイラル状の進化*
よく人類の進化を指して、スパイラル状の進化と言われています。それはあたかもDNAの螺旋の様に、渦状に少しずつ進化していくというものです。それは幾つかの栄枯盛衰を極めた古代王権など、時代と国を超えて、よく似たような経緯を辿ると言うものです。それと思われる点で、王仁三郎氏は古事記の解釈について、以下の様な解説をしていました。
何時も申す通り、この古事記は古今を通じて誤らず、これを中外に施してもとらないと云ふのでありまして、神代の昔も、今日も、また行く先の世の総ての事も、測地することが出来る様に書かれてあるので、これが天下の名文である所以であります。
-『王仁文庫』第二輯/出口王仁三郎著より-
また日月神示上にも、これを差しているものなのか?以下の様な個所が見うけられます。
●この神は現在も尚、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのぞ、この道理判りて下されよ。世界は進歩し、文明するのでないぞ、呼吸するのみぞ、脈拍するのみぞ、変化するのみぞ、くるくる廻るのみぞ、歓喜弥栄とはこのことぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-
果たして何を意味するのでしょうか?人体は小宇宙などど言われますが、確かに万物は何によらず、原子から成り立ち、そして渦の様なDNAを遺伝子情報として持っています。宇宙にもやはり、万物の元となる何かと、渦の様な進化経路を経るとでも言うのでしょうか?日本においても、考古学上の多くの発見が、三世紀後半頃、九州地区から畿内に向けて、強烈な分化の伝承があった事を実証している様です。
明治維新もまた、西側諸国の連合(薩長連合)し天皇を錦の御旗に立てて、強大な政権(徳川幕府)を倒しました。いづれも又、天皇(大王)が西から東に移動した際の、それに匹敵する列強が倒れる。という点で共通しています。しかも、大和朝廷建国の際にはニギハヤヒ尊が帰依し、明治維新の際には徳川幕府の大政奉還、という様に不思議と闘う事無く譲歩している点が同じです。(抹殺された古代王権の秘密/関裕二著:日本文芸社)
そして又王仁三郎氏は三鏡の中で戦国時代の事に触れ「戦国時代の型を写していかならけばならいのに」と語っています。またこれに付随するものなのか、お筆先にも「ナの御魂とノの御魂の和合一致し、最後はスの御魂が統一する」と在ります。
この点については、一つの仮説が存在します(王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける/須藤アキオ著:徳間書店)それを纏めると、以下の様な感じになります。
小田信長 大自在天神 自らを「第六天魔王」と称し、叡山の僧三千人を焼くなどの
攻撃的、且つ強力な勢力で、一時代の覇者となる。
豊臣秀吉 ナの御霊(ユダヤ) 武力絶倫の小田信長(大自在天)に仕え、一旦統一の
座を手にした。海外貿易や商業都市、鉱山を押さえるなど
金銭を重要視し又その才にも長けていた。
明智光秀 ノの御霊(日本) 信長(大自在天)を暗殺し、逆賊と言われた。しかし、
天王山の闘いの際に秀吉(ユダヤ)に敗れる。
徳川家康 スの御霊(ミロク) 秀吉の残党との間に関ヶ原の天下分け目の大決戦が
行われる。最終的には幕府体制が敷かれ、統一される。
王仁三郎氏はよほど汚名が好きなのか、亀岡の聖地は明智光秀の城跡に築かれ、また「水鏡」には以下の記述も見受けられます。
千の利休といふ人は、明智光秀のなれの果てである。明智光秀は山崎の一戦にもろくも敗れて、遂に名も無き一土兵の為に竹槍でつき殺されたと、歴史に伝えられているがあれは嘘である。
天王山の一戦で勝敗の決する事は、初めからよく承知してをったが光秀は将士の度々の迎へを受けながら、わざとグズグズしていて、遂に勝ちを秀吉に譲ったのである。
実にとくに光秀と秀吉の間には妥協が成立して居たのである。聡明なる光秀は、たとへ如何なる事情があったにせよ、一旦主殺しの汚名を着たものが、天下の将軍となっても長続きせぬと云ふ事をよく承知して居て秀吉に勝ちを譲ったのである。
-『水鏡』/出口王仁三郎著より-
簡単には、小田信長(大自在天)という強力なバックを元に、金銭重視の秀吉(ユダヤ)が天下を治め、その背後に控えた力小田信長を、明智光秀が倒し、逆に秀吉に滅ぼされようとするが、秀吉と明智の間にはある提携があり、実際には参謀として働き、また最後に徳川幕府によって制定され、明治維新に至る(明治維新後、美濃や尾張といった個別の国という観点から、日本国という一つの国家形態に変わった)…というものです。
これには後日談があって、大正9年頃に千利休=明智光秀論を聞かされた、太田栄子夫人が、お茶の先生の名倉氏に話し、名倉氏はそれを又家元(第13代園能斎氏)に話した所、園能斎氏はサッと顔色が青ざめ、暫くはものも言わなかった様で、ようやく「どうしてそれが判ったのですか?」と聞いたそうです。この事は千家に伝わる一子相伝の大秘密で、後を継ぐ長男のみが、それを聞き伝える様です。
話しを戻しますと、大和朝廷や明治維新と共に、秀吉と明智の間にも譲歩が成立していた可能性があるのです。これは後述する様に、ユダヤ(秀吉)と日本(明智)の提携の型にも受け取れます。
ましてや、ユダヤ人と日本人とは、フランスで行われた遺伝子調査で、親戚関係にある事が判ったと言われています。ユダヤ人といっても、アジア系も存在するのです。
また数年前に、自分は偶然、有名人の子孫を探すという企画のTV番組を見ていたのですが、その際に「秀吉」の子孫の方と「光秀」の子孫の方が対面した所を見ました。その際に秀吉の子孫の方が家系図を持ち出して「先祖は敵同士でしたが、我が家の家系図によると、うちと明智家とは遠い親戚筋にあたる様です。だからこれからは親戚として、仲良くやって行きましょう」と話されたのを確かに覚えています。
ともかく、実際に似た様な事は、スパイラル上に起きている感じです。正しくDNAの遺伝子情報の様に、それこそ人類が知らぬ間に、一つの遺伝子を持って、同じ様な道を歩んでいるという感がありますが、諺にも歴史は繰り返すと言いますから、これ等と似た様な事が、今後起こり得るかも知れません。