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(回答先: 第二章 雛形経綸 1 雛形経綸の理論 -その3 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:38:26)
*現在の日本について -その3*
*神業団体、大本は現代でも作用しているだろうか?*
では、現代の大本はどうであろうか?戦前の大本が、雛形経綸として作用していたのであれば、戦後の大本は用済みなのでしょうか?確かに、戦後大本は急速に、勢力も衰え、衰退化していきました。しかるに、王仁三郎氏は以下のような発言をしていました。
『三代教祖の時に仕組みが変る』
『大本事件は松竹梅事件だ、第三次は竹だ、竹は中が空である。教団の内容が空になり内部分裂する仕組みである』
つまり、大本の第三次事件とは、外部からの圧政によるものではなく、内部分列だと言う訳です。王仁三郎氏の預言の的中率は100%であったと言われます。であれば、この事に該当するのは、何時頃のことであったでしょうか。
昭和55年、三代教祖(直日教祖)の時に、「竹田」に出口京太郎氏を代表とする別会(宮垣会)が誕生した。これが引き金と成り、大本教は宮垣会、いずとみず、と分裂を起こしてしまう。大本教幹部は、「いずとみずの会」会員に徹底的な差別を行い、ついに追放されてしまった。現在でも、愛染苑(旧いづとみずの会)と大本教は、裁判で公判中である。
というのが、そうである(第三次大本事件)と、言われています。しかし、戦前、大本に起きた事が6年という歳月を経て、日本へと転写したという出来事が、現在も起きているという説があります
大本内部分裂事件(昭和55年)から6年後、昭和61年、中曽根元総理によるリクルート事件発生。これが表面に出てきて、政界分裂へと至り、同63年に再編成された。時の総理は竹下登総理でありました。天言鏡には、以下の様な一節があります。
●竹の下の道、行き悩むが始しといふ、長者振り返って急ぎ、改め行ふべし
-昭和22年16日『天言鏡』/辻天水書記より-
また、以前に述べたように、大本事件発生〜最終解決と、太平洋戦争〜サンフランシスコ条約迄が、同じ9年9ヶ月であった。つまり、事件発生から解決までに、9年9ヶ月かかるという、図式が有りましたが、大本内部分裂事件〜「いずとみずの会」の宣教の場の設立までもまた、9年 9ヶ月であった様です。
これらの事柄は、確かに事実でありますが、果たして雛形として、日本の政界に影響があったのか否かは、
正直のところ、判りません。しかし、もし本当であるならば、自分等も、もっと深くこの問題に対して、考えなければならないと思います。
*霊界物語に描かれた、宗教のおほもと*
王仁三郎氏の口述した「霊界物語」には、神世に正神の起こした「三五(あなない)教」と、邪神の起こした様々な教団が出てきますが、その一つに、体主霊従の教えを説く、ウラル教が登場してきます。そして、高姫という変性男子(出口直子氏の縦の系統)の系統を偽称する、人物が現れます。
この高姫は他人を責めるに急にして、自己を改める、反省するという事がまるで無いという、大変傲慢かつ慢心の強い人物であります。この高姫が、三五(あなない)教の教え半分と、ウラル教の教え半分と内包した、ウラナイ教を設立します。
このウラナイ教の本部には「おほもと」というルビが振ってあるのですが、大本教にも高姫ソックリの政治を敷く教祖(何事も見ざる・聴かざる・話さざる、という三猿主義)が誕生したと言う事です。これらは、全く大本と関係の無い自分等には、非常に不思議な感じを起こさせます。
霊界物語に描かれたウラル教は、真正の三五教を、時には潰そうとしたり、邪魔をしたりという、神業の妨害をする団体であるのです。時々は、高姫も改心する時があり、また三五教に入信するという事もあるのですが、最終的にはやはり、妨害者的な存在であるようです。
高姫は変性男子(つまり出口直子氏)の系統で、「日之出の神様」の生き宮だといっても、それは偽称なのですが、もしかしたら、出口直子氏の系統を語る、日之出の神が誕生する、という意味が在るのかも知れません。
ここで一つ、疑問が起こるのですが、大本は「皇道大本」で、途中「大本」と改名する事がありましたが、「大本教」という「教」はついていないのです。
それが何時頃に、宗教法人「大本教」になってしまったのか、判りませんが、確かに王仁三郎氏が現存して いた時代とは、一言に言って大本は形骸化してしまったのではなかろうか?と、感じます。
*大本と大本教*
(前略)・・・最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた。
「反宗教?わしの方は大賛成じゃ。もともとわしの方は昔から反宗教で押し通して来たんじゃからな」
「でも、大本教だって宗教の一種である以上は、反宗教運動の対象になるんじゃないですか?」
「いや、大本は決して『宗教』じゃない。『大本教』というのは、いはば新聞辞令で、わしの方は『大本』といってるだけじゃ。
『大本』は政治も経済も芸術もみんな引っくるめた宇宙の大本を説いているのであって、現在ある『宗教』のようなけちなもんとわけが違う」
-昭和6年10月号『文芸時代』「出口王仁三郎訪問記」より-
(前略)総て何事でも政治、教育、実業、医学、暦法、天地文学、科学、宗教、哲学、その他一切のものは皇祖皇宗の御遺訓なる皇典古事記に包含されて居る。しかして皇道は政治の大道が主眼になって居ります。
それであるから皇道を説くには、政治から説いて行かねばならぬ。宗教家となれば政治を論議する事が出来ない。さうして古事記を説くにはどうしても政治に論及せずに居れない。
それであるから我が大本は公認教となって、制縛を受ける事を欲せないのであります。
-『王仁文庫』公認教と非公認教より-
上記引用部分や、又「三鏡」に書かれている内容を見ている限りでも、大本を単なる宗教団体としている訳ではなさそうです。実際のところ、対外的に「大本教」と表現していますが、王仁三郎氏の著述でも、又「大本神諭」「伊都能売神諭」といった、神示類にも確かに「大本」と現されています。
この点から見ても、現在の大本教は、語弊があるやも知れませんが、どうも最初の頃の大本から、逸脱しているのではないか?と考えられます。自分としても、大本及び、王仁三郎氏の思想体系を、何か勘違いしている可能性もあり、また著作物その他で推察する程度ですから、絶対に自分が正しいと、断言する事は出来ないものの、どうしても上記の理由から、現代大本教に違和感を感じて仕方が無いのです。