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(回答先: 認識能力が不足している者が政治に参加する為に民主主義なるものを生み出した。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 29 日 20:42:43)
>民衆の即時的意識で政治を行なえば衆愚政治に陥ります。
民衆の認識レベルを高める事、これしかよりよき政治を実現する道はありません。
スペインの哲学者オルテガは、著書「大衆の反逆」の中で、19世紀の半世紀でヨーロッパの人口が急激に1・5倍増えたために、それまで貴族が取り仕切っていた社会に、凡庸な大衆がその凡庸さを押し付けるようになったと書いています。凡庸な人間とは、別の言葉で言えばミーハーでしょう。現在はその傾向がさらに進んで、国家のリーダーたる政治家まで大半が凡庸な人間です(公明党は特にひどい)。しかし、民衆の認識レベルを高めるのは甚だ困難だと思います。まず施政者側が内心それを望まず、教育は理工系偏重で技術者養成ばかりを考え、マスメディアがコマーシャリズムに流れて本来のジャーナリズムの機能を持たない現状では、きちんと認識できる人間は反逆児にならざるを得ないからです。
>それは、バタイユの「マダム・エドワルダ」の「眼球譚」などで表現されていたと思います。
あの作品はカトリックの神父を殺して眼球を性的なおもちゃにするという話でしたが、性欲が理性(道徳)に打ち勝つという主張であり、説得力を持つものでした。
「マダム・エドワルダ」と「眼球譚」の話が出てくるとは思いませんでした。この二つの小説は、情欲賛美、あるいはエロティックな肉体と神性を合一させさせようとする激しくも見事な作品です。バタイユは、デカルト以来何世紀も続いた「全面懐疑」の態度、すべては理性に還元できるとする誤った観念をコテンパンに叩き、嘲笑しています。
>それで全ての個人にまんべんなく生産手段が与えられるようなシステムがいいと思っているのです。
複合的な協同組合社会がそのようなものであると私は考えております。
経済学者は何をしているのか。富の配分について、今こそ新たな思想が生まれなければなりません。