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(回答先: Re: 認識能力が不足している者が政治に参加する為に民主主義なるものを生み出した。 投稿者 さすれば 日時 2005 年 4 月 30 日 02:30:58)
さすればさん、レスありがたおうございます。
あなたは哲学にもお詳しいようですね。
また、色々とお教え下さい。
必要な事は自分自身の認識をより現実的なものにし、発言し、対話するという過程でしょう。
人民同士がお互いに教育し合うような気風を作り上げていく必要があります。
もちろん権力者は大衆がバカな方がいいわけで、色々な妨害をしているでしょう。
大衆の性欲を極端に高めたりする管理が行われていると思います。
性犯罪を犯すまでに性欲を高め、大衆は愚かなので権力によってちゃんと監視しないといけないという風に思わせようとしております。
また、大衆の方もまんまと性欲を煽られ、犯罪を犯すというのは愚かな事に違いなく、権力だけを責めるワケにはいかないという風になってしまっております。
しかし、これらの事はシステム的に行われている事なのです。
人間を家畜化する計画の一環です。
例えばホリエモンのような人物は大衆の即自的欲求に最大限対応する事によって商品を売り冨を独り占めしているのです。
彼も人間家畜化計画に意識的か無意識的か加担していると言えるでしょう。
リベラルであればいいというものではありません。
目指すべき方向性を明確に示さなくてはなりません。
>Re: 認識能力が不足している者が政治に参加する為に民主主義なるものを生み出した。
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/968.html
>投稿者 さすれば 日時 2005 年 4 月 30 日 02:30:58: reQxnNwQ2shuM
>(回答先: 認識能力が不足している者が政治に参加する為に民主主義なるものを生み出>した。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 29 日 20:42:43)
>民衆の即自的意識で政治を行なえば衆愚政治に陥ります。
>民衆の認識レベルを高める事、これしかよりよき政治を実現する道はありません。
>スペインの哲学者オルテガは、著書「大衆の反逆」の中で、19世紀の半世紀でヨーロ>ッパの人口が急激に1・5倍増えたために、それまで貴族が取り仕切っていた社会に、>凡庸な大衆がその凡庸さを押し付けるようになったと書いています。
大衆の政治参加ですね。
これは民主主義派にとっては無条件に善とされてきた事でしょう。
しかし、ヒトラーを生み出したのもまた民主主義の役割だったと言えるでしょう。
通常は独裁と民主主義は対立概念として捉えられておりますが、システムとしての民主主義は独裁を阻止する能力がありません。
独裁者に対する批判は別の論理が必要になります。
その独裁者の具体的政策(ユダヤ人移送政策など)に対する批判ができなければ流されてしまいます。
>凡庸な人間とは、別の言葉で言えばミーハーでしょう。現在はその傾向がさらに進ん>で、国家のリーダーたる政治家まで大半が凡庸な人間です(公明党は特にひどい)。
そうですね。
利益誘導型政治を行ってきた結果ですね。
金になるから政治家を応援し、議席を得た政治家が税金を分捕るという事の繰り返しですね。
政策理念などありません。
金だけです。
公明党は人気取りだけで動いている政党ですね。
しかし、山崎をあれほど憎んでいる浜四津も池田大作の命令であれば山崎を応援せざるを得なかったのでしょう。
通常は人気取りですが、いざとなると権力の意向をストレートに反映するのですね。
>しかし、民衆の認識レベルを高めるのは甚だ困難だと思います。
確かにそうなのですが、それしか無いと思います。
この阿修羅掲示板は民衆の自己教育の場だと思います。
「現実を知ろう」というエネルギーで成り立っている場です。
民衆の過てる考え方に対してはきちんと批判もしなければなりません。
それは具体的な投稿者との対話で行われているのです。
>まず施政者側が内心それを望まず、教育は理工系偏重で技術者養成ばかりを考え、
商品を作る為の道具としか人間を扱っていないからですね。
「期待される人間像」でそれは現れていたでしょう。
池田隼人首相でしたっけ?
我々は社会をどうするのかという人間を生み出すべきですね。
もちろん、まずは自らがそうなるべきなのです。
>マスメディアがコマーシャリズムに流れて本来のジャーナリズムの機能を持たない現状>では、きちんと認識できる人間は反逆児にならざるを得ないからです。
その意味では我々のメディアを作る事が必要なのですね。
この阿修羅掲示板を宣伝する必要があります。
ネット内でリンクを貼って宣伝する必要があります。
Google検索で阿修羅掲示板の投稿が上位に表示されるような投稿をすべきですね。
Googleがどのような基準で検索データを記載しているのかを調べ、それにならってタイトルとかを工夫すべきです。
話題になっている事を阿修羅メンバーの誰かが必ずコメントするとかも必要です。
マスメディア批判も同時に必要です。
各新聞の社説の批判などですね。
>>それは、バタイユの「マダム・エドワルダ」の「眼球譚」などで表現されていたと思>います。
>あの作品はカトリックの神父を殺して眼球を性的なおもちゃにするという話でしたが、>性欲が理性(道徳)に打ち勝つという主張であり、説得力を持つものでした。
>「マダム・エドワルダ」と「眼球譚」の話が出てくるとは思いませんでした。
そうですか。
あの小説は18歳ぐらいの時に読み衝撃を受けました。
自分の中にある理性的で無いものをあぶりだされてしまったからです。
それから私は「〜すべき」ではなく「自分は何がしたいのか?」で生きてきました。
正解だったと思います。
自分自身の欲求を抑えるだけでは解決は無いと考えました。
また自分の欲求に自覚的で無いといけないと思いました。
ストレス解消というのもまた植えつけられたイデオロギーだとも思いますが。
>この二つの小説は、情欲賛美、あるいはエロティックな肉体と神性を合一させさせよう>とする激しくも見事な作品です。
そうですね。
エロティシズムが何であるのかは考えていきたいと思います。
フロイトのリビドー概念もまたとってつけたような機械的な感じを持ちます。
性欲を昇化などできるのかと思います。
性欲は押さえつけたり他のものに転化したりできるものではなくせいぜいうまくコントロールするぐらいしかできないと思います。
>バタイユは、デカルト以来何世紀も続いた「全面懐疑」の態度、すべては理性に還元で>きるとする誤った観念をコテンパンに叩き、嘲笑しています。
そうなんですね。
それは知りませんでした。
「全ては理性に還元できる」というのは間違いでしょうね。
人間の肉体は理性で成り立っているワケではありませんね。
それは、人間の肉体が言葉でできていると思い込むような間違いですね。
それは触覚だけをとっても分かる事です。
ふれあいは言葉を超越したものですね。
それを愛という言葉で表現したとしても、そのような機械的なそっけないものではありませんね。
>>それで全ての個人にまんべんなく生産手段が与えられるようなシステムがいいと思っ>ているのです。
>複合的な協同組合社会がそのようなものであると私は考えております。
>経済学者は何をしているのか。
経済学者の大半は御用学者であって大衆を言いくるめる為に文章を書いていますね。
事実は意外と単純だと思います。
それを色んな概念を持ち出して煙に巻いているワケです。
既存の経済の批判よりもストレートに「現実的経済学」を確立した方が手っ取り早いでしょう。
分かり易い言葉でね。
そういう対話もここ阿修羅でやっていきたいです。
>富の配分について、今こそ新たな思想が生まれなければなりません。
冨を配分する為の組織を作らなくてはいけません。
世界機構として富者より徴税する組織です。
簡単な事です。
後はどうやって実現するのかの方法論だけです。
もちろん、資本家の抵抗は熾烈でしょう。
殺される事は覚悟しております。
その意味では結果的に暴力革命になってしまうのかも知れません。
資本家が暗殺者を雇うのは必至だからです。
ATTACの活動に合流したいと思います。