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(回答先: 社会主義なら鉄道事故を防げたか? 投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 05 日 18:51:03)
構造主義の系譜を引く、ポスト・モダンからみると、あらゆる、レッテルは無意味で、その行動様式から構造と思想を類推することになる。
JRは、看板を、(株)にしておいて、組織を旧国鉄のまま、温存して、維持したので、幹部による支配を前提とした社会主義的共同体、と考えられるのではないか。
また、国鉄とJRの間に、多くの労働者・現業公務員を淘汰し、イエス・マンのみを残したので、中年層が、極めて少ない。ここに、ノウハウ移転の断絶がある。
正統な社会主義、社会的公平、社会正義、社会的貢献の理想を高く掲げた労働者は、国鉄改革の名で、淘汰された。
構造的には、『身体(ポスト・モダン的用語法)は、社会主義』、『頭脳(支配・命令者)は、資本主義・利益主義』という、二律背反のシステムが出来上がった。
観念論的には、両者の良い所を融合すると言い出すが、「第三セクター」の例のように、両者の甘えが増幅し、所謂「悪貨が良貨を・・・」の結果となる。
「身体部分は、自己判断をしないで、命令に従順・内部の身分や分担に忠実に教育され」、「頭脳部分は、外部評価である、利潤追求にのみ専念する。」
また、社会主義と共産主義を区別して扱う必要が在る、と思う。
社会主義は、労働者階級に格差を作り、労働幹部による、政治経済の支配を構造とする。この点、社会主義は社会学的用語。共産主義は、主に、土地や資本財の国有化・公有化を実施する、純粋な経済的用語。
この点、実際面で、社会主義と株主資本主義は両立することが困難であるが、共産主義と株主資本主義は両立が容易である。