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(回答先: 私自身がケージの中にいたことを理解しました。 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 5 月 06 日 18:16:17)
縄文ビトさん。こんばんは。
私自身、少し問題の立て方を間違えていたようです。
ソ連・中国・東ドイツ、いずれもはじめから国家資本主義の遅れた商品生産社会でしかなかったのだから、それを「社会主義」であるかにいって、得られる結論は、市民主義と改良主義ということですよね。
「ほめ殺しと脱労働の社会主義 」http://homepage3.nifty.com/katote/homegorosi.html
という考え方もありますが、商品(サービス商品も含む)は、常に改良されてきたのです。
つまり、商品の持つ社会性という面を競争の中でより高度に要求されるようにするのは、良識を持った消費者たる市民の耐えざる選択によってもたらされるという考え方が、一つあると思います。
例えば、BSE牛の全頭検査は、日本の消費者が食の安全を重視するからであるというわけです。
もっとも、逆に、農作物などは反対に変な方向・・・まっすぐなきゅうり 本当の味を失った甘いだけのたまねぎ など・・になっていて、それがいいのか悪いのかということもありますが
ともかく消費者としての選択権があること。・・あるいは、個人の人権という点ともリンクするかもしれませんが・・それが重要だというわけです。
協同組合を消費生活協同組合として考えていくと、それこそかなり市民主義に近いといえるのかもしれません。
話をもとにもどして、反対に、遅れた商品生産社会としての「社会主義」(=国家資本主義)のモデルではなく、商品生産社会の矛盾を止揚したものとしての社会主義をモデルとした場合は、どうなのでしょうか。
この場合の具体的イメージは、確かに明確ではありません。
しかし、食の安全、サービスの安全を確保するためには、商品生産社会における厳しい消費者に代わる役割をするものが必要です。労働者階級という立場で生産の側からのみ考えていては、生産物の改良は一面的になり、必要な方向への改良がなされないかもしれない。だから、何かのシステムが別に必要となるのではないかと思います。
何か、論点の不明確な、だらだら書きになってしまいましたが、社会主義のイメージはつかみにくいものの、ただ、物質的には、新たな社会の準備は既に出来上がっているということだと思います。
ご自分のことを、かなり客観的に見ようとされているようですが、何か、ご自分をしばっているような、ストイックな感じがします。
今の若者にはない、ある意味充実した青春時代だったということでしょうか。